自分のルーツと、歴史の過去の沙汰について

自分のルーツと、歴史の過去の沙汰について。

私の母方の本家は
隣が神社となっており、

奉納された千本社(とはいえ実際は10本程ではなかったかと記憶)が、
何故なのか、母方本家の庭から神社に繋がっていました。

母方は、関ケ原の頃には武士だったらしく、また修験者でもありましたが、
それが関係するのかしないのかは、現在の実家周囲がそれらに関心の向かない人々ばかりゆえ、
長く難病身障で自由に動けなかった私には、調査もできぬままです。

その神社、
私が幼少の頃には、結構荒れ果てた状態で、
当時は、末端の神社は、高度成長期の物質優先社会ゆえか、割とそんな状態の神社は少なくなく、幼少で何もできなかった私は、当時ただ「神社の神様や狛犬達が可哀想」と思うほかなかったのですが(親も高圧的で私に耳を傾ける事がない為、他の親戚にすら相談もできず。)、
その後、
たぶん美輪明宏氏や江原啓之氏の御尽力によるところが多いと思うのですが、
段々、
神社仏閣にも、不況の不安も相まって、関心が寄せられる様になり、
神社を大切にする気持ちの人々や、神社をもり立てんとする人の増加で、
その神社も、
何十年ぶりというかなり久方に訪れた時には、
かなり綺麗な状態になっていて、安心しました。
とはいえそれも、随分前ですが。

その神社は、かつて
何だったかの戦の際に、
秀吉から、その土地を、全体の半分ほど取り上げられているんですよね。。
勿論、民が率先して提供したというよりは、
体裁上「お上に召し上げる」という形でぶんどられた形。

今の政界の悪癖は、三英傑の頃の派生ではないかと
個人的には、ずっと感じてます。

私が長く住んだ土地にある由緒ある古刹の神社でも、
秀吉は朝鮮出兵の際に、
「勝利に導く」という故事にあやかろうと
神社に生息していた木々を使いまくって武器武具を作り、出兵したんですけど、

そんな勝手な人の、勝手な欲による戦を、
天が「勝利に導く」とでも、正気で思っていたんでしょうかね?
結果は、周知の通り。


今回の五輪の顛末も、幾らかそれに似た印象を
私は受けます。。

(もちろん、選手方は全く何も関係ないので、無念気の毒一辺倒しか感じられませんし、
このタイミングでの入学、卒業、進学、入社、各種大会等出場者方にも、そうなのですが。
でも、もし私なら、通常でない特別な事を経験する事を、絶対強みとして活かそうと、即考えると思います。又そうしても来ました。これらの皆さんには、是非、この困難を心理的に克服し、自分の強みとして今後活かしていって欲しいと期待します。
私は経験から思うに、困難があっても心身の健康がある程度あれば、それに加えて偏狭でない心と知恵と忍耐を保持し続ければ、打破の機会はまず得られます。占星術から見ても、それは理論として伝える事の出来る事です。リラックスしつつ、不屈でがんばって。若い事は、それだけで恩恵多いのですよ。。)

また、父方の本家は、名古屋の大空襲で移転しましたが、それ以前は熱田神宮の付近に住まって不動産関係の事をしていたようです。

そのため本籍は熱田のままの為、何かの必要書類の制約で、わざわざ当時交通の不便だった、熱田区役所まで行かねばならない事があり、ボーイフレンドに車をお願いした事がありました。(その節は本当にありがとうです。個人的業務連絡。)

また、正月には熱田神宮へ行く家でしたが、
私は個人的には、幼少の頃からなんとなく熱田神宮には物々しい感じを受けるので、あまり安堵な気持ちを得られず、
ただ親の慣習に寄り添って足を運んでいたのが本当の所でした。別に全然きらいな訳ではないけれど(名物の生せんべいも「きよめ餅」も大好きで楽しみでしたし)、なんだか物々しくて落ち着かない。
伊勢神宮とは随分違う感覚をずっと感じていました。

身体不自由になり、熱田にも伊勢にも行かれなくなった、ネット社会になった随分後に、
熱田の、剣の話や、信長の戦で使われた話を初めて聞きました。
熱田神宮には、皆が普通に通る所に、信長の戦の時の傷も残っているそうで。。

あぁ、あの「物々しい」感覚は、そういう過去の沙汰での事だったのか、と
納得がゆきました。


私は幼少から、
何故なのか、縁もゆかりもない全く土地勘もない遠方等の地名を見たり聞いた瞬間に、何かを感じる事がよくあります。

何故なのかなぁ?とその後も長年ずっと不思議に思う事になるのですが、
何十年も経って、突然に「此所ではこれこれ、こういう事があった起きたんだよ」という話を本当に偶々聞き、

「そういうことだったのかあ~!」とびっくりし納得する事がとても多いです。

生きていて、それはとても不思議で面白い事だなぁ感じています。

2020.5.23筆