わたしのごきげんな 【 セレナーデ 】

この曲を初めて聴いたのは、
1990年代初頭。
空自パイロット(中卒で。星の観察のお蔭で視力抜群だったし放送部で機器操作も慣れていたりしたのでネ。「自衛隊」という名ですから、「軍」ではなく「防衛部隊」との認識でしたから。)や声楽、音響技師の道を相次いで不毛な形で断たれ、更に幼少から絶対なりたくないと思っていたOLに、親にだまされる形で暫く就かねばならなくなった時、
その間の心の拠り所を探していて不意に出逢ったのが、
鈴木勝秀氏主宰の劇団「ザズゥシアター」の公演でした。

各出演者の演技とストーリー展開の目新しさに衝撃を受け、この時ほど「男になりたい!」と思ったことはなかったです(ザズゥシアターは基本、男芝居の様です)、本当に全てがかっこよかった!!!

その流れで、“会社終業後の避難場所”目的で私は、新聞に偶々出ていた劇団の募集に「大道具さんとかやってみたいなぁ!」という非常に曖昧な感覚で応募し、結局いつのまにか公募中残った最後の3人のひとりになっていて、残業で大抵稽古の正規時間内に行かれなかった私は、その詫び代わりに本当は飲めぬ大酒を毎回浴びて、その場を盛り上げる末端を担おうとしたりな阿呆を繰返していた訳です。あれ?

当時既にたけしさんの番組でお馴染みだった勝村政信さんや、当時は復帰まもなくてまだテレビには出ておられなかった松重豊さん、その後も時々ドラマでもお見掛けする吉田紀之さん等が、青山円形劇場で最後にカーテンコールの際、360度のスポットライトを浴びるなか、そのBGMとして流れたのが、この曲だったんですよね。。。

本当に、演技も内容も、また円形劇場ならではの演出も素晴らしく、それらに最後に更なるかっこよさを加えたのが、この選曲でした。

当時はまだ一般には空想の域でもあった「ハッカー」の役を勝村さんが演じていらして、
今思えば、現在の2021年にも通ずる様な内容で、先鋭的でしたね。。

あまりに感激してしまって、後で全ての台詞を映像から脚本のように写し書きもしてしまい、そのため殆ど全ての台詞をソラで覚えてしまっていたりもしました。 今もその端々は覚えていたりもするので、ほんとにたまに脳内再現をして勝手に再度の感激に浸ったりもしてしまいます。本気のアホですな。

その次のザズゥの舞台では、甲本ヒロトさんの弟の甲本雅裕さんも出演されていました。彼はその後、ドラマで中山美穂さんと夫婦役をなさったり、最近では上川さんのドラマでの面白科学捜査官(か?)役でお馴染みとなっていますよね。。

当時はインターネットもメールもなく、東京で活動するザズゥを私の田舎で知る人は、私個人に限った話では逢えた事がなく(意に沿わぬ場であり職に就いてたりする訳だから当たり前。趣味が合う人なんている訳がない。)、さみしい思いでしたが、
ザズゥを観に行った先では、割とすぐに仲良くなれる人とも出会えたりしたんです。
が、当時は携帯もメールもない時代でしたし、
別れ際には「じゃ、次の公演で!」という感じで、皆当然のように次回公演にも集まって来る気でいたので、
そんな約束しかできなかったですし、しなかったんですよね。
別に、お互いの電話番号や住所を訊いても誰も構わなくはあったのでしょうが、敢えてそこは訊かずに次回に会いましょうという、そんな「信頼」や「おおらかさ」「お互いの自由さを認める感」のあった時代でもありました。
メールのない時代ならではだったのかも知れませんが。
(そして当時は、私の人生で唯一、自由に公演にもゆけるような財政の時で、
当時は既に幾らかの難病症状は出ていても、原因不明で診断名もついていなかったですし、そこまで悪化するとも思ってはいず、
それまでも体調のわるさは結構ムリに乗り越えてきてしまっていましたので、
それが途切れる時が来るとは、考えもしていなかったんだと思います。あかんねぇ。)
しかし、
私はその後、難病悪化で行けなくなってしまったんですよね。。当然その旨を伝える手段もなく。
次回会いましょう、と言ったのに申し訳ない事をしたな、と
今も当時の人達の達者を願わずにはいられません。

けれどもきっと彼らは、メディアで鈴勝さんや勝村さん、松重さん方を、今も何処かで嬉しく観ている事だけは、間違いないのだろうな。うん。