ノウハウ崇拝の今日の不足
知恵のある者より、
ノウハウを持つ者が、勝者となるシステム化をされた時代であることが、
嘆かわしい。
知恵とは、体験と感性の掛け算の結果であるが、
ノウハウとは、カネだけでも全て得られるものである。
(厳密に云えばカネと努力の足し算であろうが、努力なぞ人間の当然の範疇のものだ。 まずしい者はその努力をしてもついぞ得られない状態である。)
とどのつまり、カネさえあれば
容易に社会から、素晴らしい、と誉め称えられる今日なのである。またその逆も巷に溢れている。
そしてそこに、くだらない偏見も追加して、だめ出しの烙印を押す。
それはまるで、やくざの最後の一撃のようだ。
ノウハウ保持者が崇拝され、
彼らの保身の措置で知恵者は悉く排除をされている。
知恵なき者ばかりが素晴らしいとされてきたので
今日のような世になり果てたのであるのに。
そのさまは、愚かそのものである。。
ノウハウは時に、思考を停止させる。
その「時に」とは、大抵「例外」の事態のことである。
今や、「例外」だらけの時代なのである。