箱を見て中身を見ず

ここ最近一番、心に響いた話。


「粗野だが卑でない」という、ニュアンスや意味の、
言葉の違いを理解していない、分別できていないのではないか、という事が、
最近の日本を、私が見ていて
なんだかモヤモヤしていた理由だったと分かった。

ちょっと違うかも知れないが、別の言い方をすれば、
最近の日本人は、

熨斗(のし)や箱に高級牛肉と書いてあって、
中身が駄菓子でも、
「これは高級牛肉だ」と思う人がいるというか、
また、
その逆もあるというか。

どうにも、そう感じる場面を多く見掛けて堪らない。

本来、目で見れば、ましてそれを口に入れれば、
違う事は、分からぬ訳はないと思われる事が、
分からなくなっている人が増えていると感じることが増えているのだ。

幼少から、駄菓子を「高級牛肉だ」と言われて食べている人が、増えてしまったのかも知れない。

政治的な場面の影響で、
人の感情や倫理を騙される形で成人すらしてしまった人もいるだろうと、
日本のこの四半世紀を振り返ると思う。

それは、そう育てられてしまった当人達からすれば、
俺達に責任はないよと言うかもしれないが、
それは、
発達心理学による、本来成長しているべき感覚や感情の細分化に至っていないという事とも云えなくない。
何でもかんでも「ヤバイ」の一言で済ませられるようになった語彙の曖昧や多用しすぎの弊害も、そこには絡んでいるかも知れないが。

駄菓子を「これ高級牛肉だよ」と言って食べる姿と、
モリカケ桜問題以上に、官僚の赤木氏の死や、詩織氏の法的不当を見ても「アベさんスゴイ、正しい」と言う姿が、
私には、同じに見える。

「粗野だが卑でない」人と、
「上品善人ぶっているが卑」の人と、

どちらが人として貴いのかを、
見分けがつかなくなっている人の増加を、如実に感じてしまう昨今だ。

本当の「卑」について、
隠蔽を謀っていた政治がまるで常識のような四半世紀が、
日本に続いた弊害に思う。

気がつくと30年、病床を背中に背負って、ひもじい財布を算段しながら、社会の上下を駆け巡ってきた私は、そう思うのだが、
これは時代錯誤なのだろうか?

時代が変わっても変わらぬものを真理という。

卑の概念は、変わらぬ筈で、
発達心理学では高度な概念である。
人類、もしくは日本人の感性の全体的底辺が、
変わってしまったのだろうか。

やはり「日本人スゴイ」などと言っている場合ではない気はする。

2022.9.28筆