高橋幸宏さんの従兄弟さんと私、気付かぬ間にお話ししていたようです。。(驚愕)

私、昔、公共施設で受付職に就いていた時、
日本映画学校の偉い肩書の方が訪ねていらした事があって。

当時、スリムで若々しい50代くらい、といった感じだったのですが、不思議に魅力的な方で。

映画学校だと、偉い方までが(ごく一般と違って)こんなに魅力的な方々なのだろうか?、と、
ちょっと浮世離れな感想を持ったので、
偶々よく覚えていたのですが、

先日、偶々、高橋幸宏さんのWikipediaを調べもので開いたら、
ユキヒロさんの従兄弟のお名前も、なんだか色々偉そうな肩書とともに載っていて、
特別意図もなく開いてみたら、
日本映画学校の経歴がその方にあって。

年齢的に、あの人と同じくらいだけど、まさかね、、と思いつつも、なんとなく気になって、
画像の検索をかけてみたら、

、、、、、!!!!!( ☆☆)

ドンピシャ、その方でした。。。

間違いないです、
一目で判りました。。
(一応自分、「写真記憶」の持ち主です。でもホントは顔より声の記憶のほうが寧ろ百戦錬磨。。)

私が美術館勤務の頃に、
偶々お忍びで来館されたユキヒロさんをお見掛けしたのは、その数年後の事で、
SNSで返信を戴いたのも、相互フォローしてくださったのも、もちろんそのずっと後の話です。

ユキヒロさんを直にお見掛けする以前に、
実は、
ユキヒロさんの従兄弟さんと直にお話していたのだとは、

つゆ知らず、長年なんにも気付かず 。。。。

昔SNSに、その時の事を何かの拍子に書いたことはあった気がしますが、
ユキヒロさんがそれを目にしていたり、読んでなんとなく気付いてた、なんてことは、。。。さすがにないですよね、多分。笑、

考えてみれば、
従兄弟さんと接した後には、
難病が悪化し働けなくなりもう餓死寸前だという時に「生きた証に」と送った公募で、偶々、YMOのプロデューサーさんに
私の作品を拾って戴いた事があり、
でも当時、
作品以上に私の「声」を公にしたい気持ちはあったものの、
餓死寸前で身体が動かない状態であったし、
その悪化し動けない状態自体の説明が、
当時、
私の難病自体が、当時社会から
「気のせい、怠け、仮病」と云われて社会的なネグレクトを受けていた真っ最中だった為に、
例えば「入院中で行かれません」のような、明確な形に伝え表し様もなく、
「ちょっと風邪で。。」という、
本当に仮病でも使っているかのような説明を伝える他なく、
実は当時、何度も何度も、
別の日程でよいので出向くよう、促されたのですが、
当時既に何週間も殆ど何も食べていなかった私は、
うまく説明にも至れず、
出向きたいのはやまやまであっても、
「また再度、公募へ送りますので」と伝えるのがやっとだったのです。。😿
また、
そうした説明しかできない自分の、
なんとも不当といえる状況が、
私の心を、ひっそり痛めました。

(長年の偏見差別による不当に苛まれて来た疾患は、
実はハンセン病だけではないのだよ、と、
日本の皆様に伝えたいです。
ちなみに私の場合は、コロナ後遺症の件で今は多少知られるME/CFSという免疫神経疾患です。
皆さまどうぞ、この疾患への御理解御協力応援を、何卒宜しくお願い申し上げます🙇)

しかし、
その時も餓死寸前になる程でしたから、
その後も病身で生計を立てるだけで本当に手一杯の年月で
その後、再度の公募は、とても出来ずで。。


そんな経緯があって、
私は、
ユキヒロさんを直にお見掛けしたりSNSで返信を戴く以前にも、
ユキヒロさんの従兄弟さんの件に次いで、
YMOファミリーの方々とも、実は不思議と接点はありました。。


こういう不思議なことは
人生に、たま~にあって。

面白いですね。
もうちょっと早く知りたかったけれど。
(ユキヒロさんが眠れない時の、話のタネになったかもですし。。

それにしても、
あれだけ、眠れない眠れないと仰ってたユキヒロさんが永眠とは。。なんだかジョークのようです。。🌠💧
逆に私が眠れなくなっちゃってるんですけど、、)


2023.5.10筆