昔聞いた教授の雑談

昔、国学(※某神道系大学のみに存在する講義です。)の教授から、講義中よく聞いた話題に、

「米国の弁護士は、日本のそれと違って、それほど難しくないし、弁護士も“スゴイ”存在ではない。」

というものがあった。

割と皮肉屋ぽい人だけれども、嘘や石頭でそうした話を言う教授ではなかったため、
社会の真実でもあるのだろうと、
別段、感想もなく聴いていた。

そしてそれを枕詞のように出てきた言葉が、

「だから、ケントギルバートを米国の弁護士だからと、スゴイ、等と思ったら、だめですよ。」

だった。。

当時、メディアには二人の「ケント」名の金髪外国人男性が頻繁に露出していて、

私は、同じ「ケント」でも、温かみのある「ケントデリカット」さんのほうが元々断然に好きだったので、
「ケントギルバート」氏の話題には殆ど関心がなく、
なぜ教授があんなにケントギルバート氏の話題をしていたのだろう?と当時不思議にも思っていたのですが、

近年の、ギルバート氏の、DHC的な動向と発言に、
あぁ、成る程、と、
教授の「先見性」を今ごろ見直すことにもなってしまった。(ギルバート氏には近年、率直にがっかりしました。。)

この教授はおそらく、当時(30年程前)から見抜いていたのでしょう。
当時、教授個人のウラミネタミの類いで話しているのではない感覚は、その毎回に感じられていたので、私も話題として覚えていたのですが。
(もしウラミネタミの類ならば、下らなくて、そもそも話も聞かなかったでしょうしね。)

私が、国学の講義で覚えている事といえば、

「本居宣長の鈴」と、この「米国弁護士及びケントギルバート氏」の話題だけである。

(。。というのは冗談ですが。笑、。

その数年後に、偶然に松阪の知人と高速インターを下りる際に見た「本居宣長の鈴」には、思わず、これだったのか、と毎回感嘆を洩らしましたよ、教授、。

そのまま知人の実家を訪れた後、伊勢神宮参拝をするのが、その頃のルーティンでした。
当時はまだ「パワースポット」という言葉も概念も巷に全くない頃。
ただただ、伊勢神宮の空気感と五十鈴川がとても好きで、訪れていて、
本宮脇の大きな木に、人目を若干気にしつつも思わず抱きつくのが、私の恒例でした。

まだ「おかげ横丁」に、赤福と伊勢うどんしかなかった頃の話です。)