人生概容

田口ランディさんは、
「年を経ると、
それまで自分がした事が
ブーメランで返ってくる」と書いていたけれども、

私は
「年を経る毎に、
それまで自分が他人の被害として憤慨し動いていた事を、
逆に自分が被り、
逆に誰にも助けられもせずという状態になってゆく」
という感想を、
自分の人生に感じている。

私は気づけば何故かいわゆる修行的な事を子供の頃から好み、
小学生の頃には、TVで放映していた千日かいほう行に即憧れ、
つい近年、
実は、自分の先祖達が修験道の先達(それなりの修行を経た先生)であったこと、
またその私に近しい一人が、
その後、前の大戦で南方で戦死している事などを偶々知ったのだが、

それらを振り返ると、
自分の不思議な修行好きや、
子供の頃、生まれて始めて感激した食べ物が精進料理だったりや、
その後、難病への偏見ゆえに何度もの餓死寸前になったその意味も、
うっすら見えてくる感じなのだが、

上記の己の人生のそうした展開においても、
なんだか、見えてくる感じもする。

他者への不当に憤慨したその事柄を、
悉く、自分で体験もする経過を辿り、
さらに、
自分はその際には、誰からも救済がない状況を、

体感する人生となっていたのである。

こんな凄いアトラクションは、そうはなかろう。

思えば私の持病での寝たきりや発声の困難は、

上記の修験者先達の一人であった祖父が
私の物心ついた頃には、既に傾向のあったいずれも症状であり、

祖父の亡くなる数年前から、
私としては、ネグレクトで居心地のわるい実家から逃れる意図もあって、
頻繁に祖父の入院先を訪れていたのだが、
祖父が、綺麗な心(に私には見えた。)にもかかわらず、そのような状態にある事に、
とても理不尽を感じて、
よく神に対しての文句垂れを、心の中で叫んだものだ。
(私は幼少から、人間に酷いことをされても人間を嫌いにないたくない一心から、怒る相手はいつも「神」だった。
例えば、「何故あの人にこんなひどい事をさせるのか、☆」と、よく神に抗議していた。
そのおかげで長年、比較的ひどい目に遭ってきていても、人間をとんときらいにはならずに生きてきた。
そうでなければ人間不信になる場面は、
私の場合、そもそも生まれて一番最初の記憶から、それで埋まっていたのだ。
だからTVの中の坂本九氏を観て「家の外に行けるようになれば、こういう人とも逢えて、過ごせるようにもなって、私も幸せになれるかも知れない」と気付くまでは、私のこの世には「絶望」しか最初からなかった。
多分、そこから幼くも生み出した知恵だったかも知れない。)

気づけば、その祖父と、病は違えど、ひどく似た状態に置かれて、私は 体験をしている。
(更に、やはり寄り添う人も皆無の窮地の体験だ。)

もっと云えば、
交通事故による自分の明らかな死期を翻して、
当時悩んでいた某人との面会の約束を心配ゆえ放れずに、
この世に戻ってしまった事が、私にはあったのだが、
その某人にはその後、刑事犯罪の冤罪を噂として流される目に遭っており、

このまま死んで、約束をすっぽかす形になって、
某人が更なる女性不信になる事を心配して、
本当は全くこの世に未練なく、あの世へ戻れる快感に身体の全細胞が包まれていて、全く本人は戻りたくなかったにもかかわらず、
その心配一つの為に、
「今しんだら二度とこの世には戻れない、でも生きたら(理論的には)いつでもしねるから」との咄嗟の判断で動いた結果、

心配をしてわざわざ意にそぐわぬ判断で戻った理由のその人に、
社会的にも影響するだろう刑事犯罪の、全く関わっていない冤罪を流布されるという、
正に「この世の地獄」を、
地獄に行かずして体験もした訳です。

皆まで言わぬが、これ同等のひどい出来事は、その後にも延々とあったし、未だその最中でもあるかと思う。

難病への事実無根の偏見差別や、
それを本来救済する筈の職務の人達からのネグレクトや罵声や、その行為と事実の隠蔽とか、

子供の頃から、クラスで村八分になっている事を心配して友人関係を続け、その友人の被る筈の泥も時には被って庇ったり、泣けば背に手をしてきた友人達からは、
彼らが上層の学校や職場に入ったり、
私が難病になったり、という経緯の末、
彼らは誰も私に寄り添う事もなかっただけでなく、
彼らが安泰となった今は、難病の私と関わりたくない向きが見られる。

本当に気が合い心が通じあっていた友人達とは、
何故か悉く、難病でどうにもならない事の続くうちに、
丁度、彼らの進学就職結婚移転等の年齢的な時期であったことも、
私が年に一度の年賀すら出せない時が過ぎたこともあり、
又、私に届いただろう手紙も実家が悉く勝手に読んでそのまま棄てていたという異常な家庭環境もありで、

悉く、連絡先も分からなくなってしまった。

今や連絡がとれるのは、北海道や東北の友人のみだが、
北海道や東北では、とてもではないが大半のヘルプは言えもしない。
彼らが上記の名古屋圏の輩と違って、気持ちの受入れはある事には大変助かっているが、
皆、農家や子供のいる仕事持ちばかりで多忙でもあり、そうは頼るべき先でもないため、メールも何か重要な事でもない限り控えている。

それにしても驚いたのは、東北の震災で身内をなくし、その震災写真集を出した人から、後に酷い事実無根の罵倒をされた事であった。その人が帰国の際に困っているのを偶々SNSで見かけた私が助ける形になり、その人からSNSをフォローされ、震災写真集出版のカンパも、出版に意義を感じて微々したのだが、その後彼は海外のお金持ちとも交流するようになり、豪勢な投稿ばかりとなったため、私はもう関わる必要もなさそうだしと、あまり関わらないようにしていた。ところが彼から急に何度も「いいね」がされたため、何か見てほしい投稿でもあるのか?と思い、閲覧の後に「?」と感じながら3つほど「いいね」を返しておいた。すると突然SNS上で何度もの罵倒されたのだ。訳わかりませんよね?     おそらくその背景には、当時私に長年執拗に事実無根のネット中傷とその流布をしていた、かつての職場で身障者いじめ等を行っていた連中のアカウントの話を信じたゆえではないか?と思われるのですが(当時時々そのような対応に変わる人が見られた。ネット中傷犯の職場での悪事を隠蔽する目的の交流妨害行為でしょうね。)、それにしても、あの震災で辛酸の経験をした筈なのに、何故こんな対応ができるようになってしまうんだろう?と驚くほどでした。とはいえ、その少し前にも、似た難病の患者会の幹部からも、似たような目に遭い、彼らは裏で中傷の犯人と嬉々と中傷に混じってさえいて、「自分は働けているのにあの人(私)が働いていないのは、あの人ができない人だから」と書き込んでおり、とても難病患者会幹部とは思えぬ患者の実態を把握していない発言をしていた事があったので、この人はせっかく難病になったのに、何をいったい学んだのだろう、ととても残念だった前例もありましたので(その幹部は、後援に国会議員がついている事を当初から妙に自慢して来ていたので、さもありなんとは思いました。THE小判鮫野郎。)、高慢に傾く人に、またかと思うくらいでしたが、何せ東北震災は物凄い事でしたので、そのギャップで大変びっくりしてしまった。そしてやはりあんな大変な経験をしたのに「何を学んだのか」と大変残念に思った事は、否めませんでした。

ランディさんの「ブーメランで返ってくる」に当てはまるのは、
至って、
私に関しては、動物達に関した事項だけではなかろうか。

これは、私の人生にも悉く当てはまっている。

子供の頃、度々動物達を助ける経緯を辿った事同様に、
私はこまっていた時、度々、不思議に動物達に助けられた。

上京に至れたのも、様々な動物達の力添えあっての事だった。

しかし私は、彼らに十分な恩返しもできぬままばかりとなった。
ゆえに、
私は、孤立の時にも、
動物達を思い出して「貴方ともなかなか遊んであげられずに寂しい思いをさせたからね、」と納得する。

それとは裏腹な、優しい波動しか、
そういう時には感じないけれども。
彼らの笑顔のような。
そしてその笑顔は一様に「ガンバレ!」と励ましてくれているような。


私にとっては、私のこの人生こそが正に「修行」なのだと沁々感じる。

ゆえに、
目の前の苦難自体には、
勿論、その時々はいささか苦悩に難儀にもかんじるのだが、
至って、苦しみらしい苦しみとは、
殆ど、少々感じはしても認識せずに来た。

私が苦悩するのは、
目の前の不運や苦ではなく、
寧ろ、目の前の、汚い心や汚い出来事に対して、すこぶる感じるくらいである。

幼少から、
神に対して「何故この人にこんなひどいことをさせるの?」と憤慨したように、

目の前の汚い心や出来事に対して「何故こんな汚いことができるのであろうか、」と寧ろ呆れる。

しかし、それがこの世のおかしな展開を作り出しているため、それに苦悩を感じる。

そこでまた、神に憤慨する。

神に憤慨を代わって貰ってもなお、
改善の悉くない者に対しては、

「何故この人は、こんな汚い心や汚いことやひどいことをできるのか?」と、

「本人責任」に、私の中では変わる。

「世のひどいこと」の産出責任の在処がはっきりすると、

私は、様々、動き出す。

そんな感じであるため、
私は、ブヨの大半には、心を動かされる事もない。

只いつも、「世のひどいこと」責任周辺の調査分析に
個人的に勝手に走るだけである。


私は、幼少思っていた事の一つに、
「出来るだけ多くの感情を経験してしにたい」というものがあった。

その達成に向けての人生で、ゆえの悉くの困難であり、
また私が行うのはその解決の過程における膨大な色の感情の獲得ゆえだろう。

困難を目の前にしても、
確かに困難だという認識ではあるのだが、
「いや、自分なら大丈夫」という認識も
不思議とそこに存在するのは、

その困難こそが駒を前へ進める鍵なのだと
なんとなくの感覚として自覚があるからだろう。

たかだか無用に優遇されてきた地位と端金をなくしたくらいで
鬼の形相で悪気を漂わせウラミを飛ばす輩とは、
見ている方向が全く異なるのだろう。
ましてそれが、たかだか自業自得なら尚更だ。

私は、他者と自分の苦いかなしみを食べて大きく強くなる貘のようなものなのだろう。勿論、自分の明るい楽しみも喜んで食べるけれども。良薬口に苦し。


私の、あの世へ行った時の夢は、
小野篁氏に閻魔の白砂でお会いすることと、
先にあちらへ逝った動物達と再会してハイタッチをする事、
また、各動物達に、してあげられなかった事の続きを是非してあげたいと思っていて、
子供の頃から、どうにも死への恐怖がとんとない。
上記の、死にかけた時にも、実際そうであった。

彼らとの、ためらいないハイタッチのために、
私は、今日を生きている。

動物達にしてもらった事のブーメランを、
この世でもあの世でも
したいと思っている。

2021.12.9筆