料理に見える本音
愛する夫のいる妻は、
料理が上手い。
料理の力量で妻の本音はあらわである。
たとえ料理の腕がなくても、
なんとか美味しいものを食べさせたいとした料理の"なり"は、不思議と暖かいものである。
昔、私の知る、
夫を条件と体裁と打算で選び
心は愛していなかった女性は、皆、
料理のなりが、貧相で不味いものだった。
たとえ自称セレブでも、
外食での選択も
まるで男子学生の如く貧相だった。
こうした人物は得てして自慢だけで、
あらゆるセンスも、貧相で不味かった。
若く、愛する夫をなくした所謂未亡人の女性の
料理は、
ふとした時でも、
ずっと長年、豊かでした。
愛する事とは、
結婚でも肉体の存在でもない事が、
ここから、なんとなく判ります。
妻の料理が貧相の際、夫も似たりよったりは多いもの。。その妻にしてその夫あり、かもしれませんね。
2020.5.17筆