大銀杏。

ガイムショーに勤めた頃の金曜の帰路は、
身体がつらくても、
なるべく神社仏閣へ足をはこんだ。

正直、省内には
あまりに穢れが存在していて、
どちらかというと本能的なレベルで
そういった場所へ祓いを求めずにいられなかったのだ。

その中に、
鎌倉の鶴岡八幡宮もあった。

時間的にはもう真っ暗な中、
あの階段を上がり、二礼二拍一礼と共に「どうすれば良いのですか?」と神に迷いを問い、
階段下にある御神籤に
その返答を求めた。
自分では判断のつかない事ばかりが周囲に山積していた。

今、伊集院静氏の著作の
ラジオドラマが流れていて、
奥さんである夏目さんが
八幡宮の大銀杏の絨毯を見て
とても感激していたという場面を聴き、

あぁその時には、銀杏はまだあったのだな、という事と、
あの大銀杏の倒れた年はいつで、
何があった年だったろうか?と

その物語と私の過去の現実が
私の身体のなかで、
もやもやとリンクした。

物語で彼女が見たと言った、八幡宮の花嫁さんは、
私も見たことがある。

自分も大銀杏の絨毯を
一度、見てみたかったものだ。

好きなことをして会話する誰かがいて、短く生きるのと
何もできずに誰もいなくて、長く生きるのと、
どちらが、幸せなのだろう。

物語に出された夏目さんの一言一言は、
心から愛しい、金目以外で結婚をした女性の本音だな、と
感じながら、おわりまで、聴いた。

🍀🐾🌸