真心なくして圧巻なし、 真心ダマして強圧アリ

エリザベス女王の国葬は、
まるで1964年時の東京五輪のような完璧さだった。
圧巻である。

1964年の東京五輪も、完璧さで世界に圧巻だったそうだ。

その前の五輪中止からの、旧国立競技場の学徒出陣、また敗戦を経由しての五輪であったから、
その並々ならぬ想いは、NHKの大河でも表現されていた。
そしてそれは真実だと、その大河より遥か前に、私も聞いている。

それだけに、完全に建て替えられてしまった競技場や後手後手の後の同じ2020の東京五輪には、
コロナ禍の件を省いたとしても、
残念感は否めなかった。
更に昨今、それに関する多数容疑者もが明らかになってきている。

その全ては当時首相の「アンダーコントロール」発言から始まったといっても、過言ではない。
あの発言がなければ、もしくは出さなければ、
誘致に至らなかった可能性は少なくなかった2020の五輪だった。


プラチナジュビリーの動画に、

くまのパディントンがマナーに外れた事をしてしまった為に、
エリザベス女王が「あらあら、」という表情を浮かべるシーンがあったが、

私は、
今、日本で話題の「国葬」に関しては、
その女王と、同じ表情を浮かべざるを得ない。

私は女王ほど出来た人間ではないので、
ネバーマインド、とはとても言えない。

(そもそも「マナー」も知らない者は、上級にも上流にも、本来、立ち得ない。  今回の国葬決定に関わった人々は、そんな国のマナーも知らぬ者としか、全く評せない。)

また他に、
私が少し気になる事として、

なんだか、
若い世代の人たちが、
私が幼い頃に見ていた、
戦時に大人だった祖父の世代の、戦前戦中頃の意識に、

この国葬に対する感想が、
なんだか似ている気がする点がある。

彼ら(私の祖父世代以上の日本人)は、
おそらく謙虚且つ優しすぎというか人がよすぎて、
戦争へと走る時勢を止められなくなっていった感を、
私は、幼少から彼らを長年見ていて思ってきたのだが、
今の若者も、
どういうわけかそれと少し近い感覚を持っているように感じられて仕方がないところがある。

戦時は
「周囲の目、周囲の監視」が漂う時勢だったが、
今は、
それと似たものが、学校でもネットの中でも漂うがゆえかも知れないなどと思う。

率直に、若干心配である。
見ていて時々、ロシアともダブって見える事もある程だ。。

私自身も、
生来の人のよさゆえに、
ひどい人達からのひどい目に沢山遇い、
経験から、その卑劣な手口を幾らかは知っている。

私や先人と同じ悲しみを、
人のよさゆえに彼らが味わう事は、
できれば、避けてほしいと思っている。
まして、
戦前と同じ洗脳をしかけようという輩は、
善人の衣装を被ってウヨウヨいる、現在の日本である。

2022.9.20筆