今こそ見直したい 【 多事争論 「この国のガン」】

もう15年ほど前の録画と思います。

私は、筑紫さんが亡くなる頃、偶々氏の古巣で働いており(身障だが一般枠からの非正規)、
氏の同期方と共に仕事をしており、
氏の亡くなった記事についても関わることになりました。。

30年以上前、私は個人的な大きな失意の中、偶々夜中に起きてラジオを聴いていた時に、
天安門事件の生中継が流れ始めて、
聴こえてくる銃声や怒号が痛くて涙が出てしまいました。
以後、天安門で傷ついた人々が心配で観始めたのが、
偶々その頃に始まった、筑紫さんのニュース番組でした。

それからずっと筑紫さんのニュースを見続けたのは、
筑紫さんの意見が、あまりに自分と同じだったため、
幼少から、意見の合わない孤独を感じ続けて育ってきた私には、
多分、いつも自分と同じ意見を述べて下さる筑紫さんに、ホッと安心を得ていたのではないかと思います。

それまで私はほぼ新聞紙面でしか触れて来なかったニュースを、
画像というリアルで学ぶようになる機会にもなりました。

私は全くマスコミで働きたいと思った事はなかったのですが、
筑紫さんの著書に書かれた社内の様子を読み、
「こういう、肩書でなく皆が名前で呼び合うような会社だと、私は働き易いなぁ」と感じ、
偶々リアルな働き口の視野に入ってきた際、
それが不安を取り除く形にもなり、お蔭様で実際に働けることにもなりました。。

筑紫さんのニュース番組は、文化も深く取り上げている事が、とても親近感ともなりましたし、文化人方が公に政治発言もできる機会でもあったように思え、またそれが身近に感じる事になっていた気がします。

また、筑紫さんの沖縄への気持ちが、
原爆の日生まれでそうした戦争被害者方を見つめずにいられずに生きてきた私には、ありがたく嬉しくもありました。沖縄の事は、筑紫さんに教えて貰った事が多いかと思います。

実は、筑紫さんの訃報を聞く少し前の頃、私は夢で筑紫さんを見ていました。
筑紫さんは大学の講義の教壇から私に「あとは頼むよ」と仰ったのですが、
私はすかさず「でも私は身体障害があるので、少しむつかしいかも知れません、」と言ってしまいました。あほう。。
すると筑紫さんは「それは確かにそうかも知れないね、」と苦笑いをされ。。
夢とはいえ、なぜそんな事を言ってしまったのかと反省しきり。。親しい人にも長年そんな弱音は一度も言った事がなかったのに、
障害への社会の偏見や差別そして症状や困っていても寄り添われる事のない状況には、当時までの時勢的に本当に長年辟易しながら渡ってきていたので、
筑紫さんにはつい正直な不安点を口にしてしまったのか。。?
その夢は、どうも筑紫さんが昏睡状態になった頃に私は見ていたようです。。

その後、池上彰さんがニュースを噛み砕いて伝える番組をするようになり、
筑紫さんが「頼んだ」のは、池上さんの間違いだったのでは?とよく思います。。