曼珠沙華
おはようございます。
ご機嫌いかがでしょうか。
ふと気づくと
母が亡くなってから20年目。
今日は、母が亡くなった頃の話をしてみたいとおもいます。
母が亡くなったのは2003年の夏、私が浪人生の頃のことです。
5月に私が19歳、7月に母が54歳になった年の8月。
その4月、私たち家族は6年ぶりの3人家族を 大阪市北区
『さざなみプラザ』という場所で、はじめていたのでした。
今から思えばそれは、母が病院に通いやすいように
設定された場所だったの、でしょう。
(直前の6年間は母と和歌山市在住。父は三宮に単身赴任)
6年ぶりの3人暮らしは2ヶ月もなかったということになります。
その春、母は私の部屋を葡萄付きのフェイクの蔦で飾ってくれました。
もうひとつ覚えているのはベランダで育てていたトマト。
私たち家族がトマトを育てるのはそれが初めてではなく
父の設計で建てたかつての高知の自宅2階庭でも育てていました。
(高知の自宅は、高知から出るときに売却しています。)
しかし母が亡くなる年に育てていた
『さざなみのベランダトマト』は
高知で育てていた持ち家2階のトマト、とは
明らかに異なる色をしていました。
その赤さ、をいまでもたしかに思い出すのです。
おわり。(えっ、おわり?)
おわりです。
それではみなさん、
気をとりなおして(ほんとうに勝手ですが)
よい一日をお過ごし下さい。諭加子
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