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「不機嫌」な人が損する本当の理由

改めてアウトプットの機会を作ろうと思い、書き始めます。賛否両論あるとは思いますが、一般人である私、ちゃたろうが日々の生活を通して思うことをつらつら置いておきます。

あなたの周りにも「不機嫌」な人はいませんか?さっきまで笑ってたのに、気づいたら怒ってる人、挨拶しても返してくれない人、いつも眉間にシワを寄せて、「不機嫌」オーラを放ちまくっている人。 (自分も思い当たるので偉そうに言えませんが笑)

私はそういうのに、すぐに気付いてしまうタイプなので、同じ空間にいるとすごく嫌な気持ちになります。単純にいうと怖いんですよね。(私がhspなのは、またいつか別でかけたら良いなと思います)

まあそれはさて置き。「不機嫌」でいても良いことが無い。というのは皆さん体感的にお分かりだと思います。自分が不機嫌だったとき、良いことありましたか?誰かがかまってくれました?声かけてくれました?

私は、小さい時、自分の思い通りにならず、よくふてくされて自室に篭ってるいました。そう言う時は決まって、父が迎えにきてくれました。それでも一旦、不貞腐れてしまった自分を否定することもできず、開き直れず、また気恥ずかしさもあり、でもかまって欲しい気持ちもあり・・・素直になれないでいました。それでもそんな私と向き合ってくれたのは、父が私を大事に思ってくれていたから。(当時はわかりませんでしたが、今ではそう思います。ありがたいですね)

しかし、職場や、趣味やサークル、ご近所付き合いでは、自分のためにそこまでしてくれる人ってなかなかいません。不機嫌な人は、シンプルに嫌煙されてしまいます。でもそれって自分の思っていることと真逆のことが起きているのです。小さい頃の私は、本当は構って欲しくて、自分の思う通りにして欲しくて、不機嫌に振る舞っていたのです。つまり、不機嫌に振る舞う目的は【周りの人を、自分の思い通りに行動させる】こと。

大人でも同じことが言えるのではないでしょうか。自分の思い通りにいかない、自分が気分を害するのは、あの人たちのせいだ、私はもてはやされるべき存在なのに、みんなが相手にしてくれない。声をかけてくれない。仲間に入れてくれない。だから自分は不機嫌なのである。この不機嫌さは、みんなのせいである、と。

不機嫌な人はシンプルに嫌煙されると言いましたが、それは表面的な問題です。確かに友達が減ったり、自分のためによくしてくれる人が減ることは、トータルで見れば、マイナス要素でしょう。

しかし本当に問題なのは、なんでも《他人のせい》にしている思考です。お気づきの方もいると思いますが、上記の場合、自分が不機嫌なのを《周りの人のせい》にしているのです。

あたなの人生の主語は、《他人》ですか?《周りのみんな》ですか?

この考え方から脱しなけば、なんでも《他人のせい》にする人生になります。つまり「不機嫌」な人は、自分の人生を他人に委ねている、と言うことと同じです。

これが私の考える「不機嫌」な人が損する本当の理由です。

自分の人生は、自分だけのもの。他人に委ねず、自分で選びませんか。

辛いことも、他人のせいにしたくなることもたくさんあると思います。いきなり100:0で変わることはありません。急に別人にはなれないし、レベルが上がることもない。言うのは簡単、でもそれを体現するのは難しい。それでも、自分が変わりたいと思ったら、1ミリで良い、少しずつやってみてください。その積み重ねが、その小さなチャレンジが、あなたの人生を確実に変えてくれます。

■変わりゆく故の安定がある。生きている間に生まれ変われ。迷わないことが 恐れないことが 間違わないことが 強さではない■UVERworld/OXYMORON


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