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■2025正月:京都にて■④・源氏物語で盛り上がる、宇治を訪ねて(前編 宇治橋周辺を歩く)

2025年のお正月、実家からちょっとしたお出かけで到達することのできる、宇治にお出かけ。前回の記事では、3年間通い続けた黄檗駅周辺と、国宝に指定された萬福寺を見て、ちょっと懐かしい気持ちになっていました。そして、せっかくなので、源氏物語で盛り上がっているだろう、宇治駅周辺にも足を延ばそうと思い、歩いて宇治駅付近まで行くこととしました。(前回までの記事はこちら)

■1 「光る君へ」大河ドラマ展へ

歩いて到着した、京阪電車の宇治駅。

宇治駅に来て、まず見つけたのは、こちら。

宇治駅に、大河ドラマ展の開催を知らせる広告が。

大河ドラマ「光る君へ」。源氏物語をテーマにしたドラマでした。実は私は観ていなかったのですが(笑)、受験生だった家族が古典の勉強を・・などといいながら、「あさきゆめみし」という少女漫画を読み、源氏物語の世界から、大河ドラマの世界にハマっていたので、何となく家でテレビを視聴しているのを横で眺めていたので、登場人物などは少しくらいは知っている、という感じでしたが、地元で開催されている展覧会が、ドラマが年末で終わっても、年末年始期間中は開催しているとのことなので、行ってみました。

大河ドラマ展は、京阪宇治駅の線路沿いを少し歩いたところで開催していました。
こちらの建物で開催中。
チケットを購入。大河ドラマが終わった直後なので、
結構多くの人が来ていました。

こういうドラマ館、何度か足を運びましたが、正直言って、「放映終了直後で開館を終了するのはもったいなすぎる!」といつも思います。意外と総集編を見る人、録画やDVDを見る人、ドラマを見て聖地巡礼をする人など、結構息の長いファンを獲得できる機会だと思うのですが・・。もう少し期間延長してもいい気がします。

ドラマは観ていませんが、色々と見慣れたこの絵姿。
こちらは衣装の展示。いろんな角度で展示されていますね。
ご本人のサイン入りのボードも。
個人的には、ドラマの時代の宇治の姿を想像した絵図などが
出ているのが素敵でした。

宇治は、貴族が半日かけて訪れる別荘地のような場所だったそうです。宇治橋が架かり、宇治川に湊ががあるような場所だったとか。屋敷や寺社などが点在する場所でした。

源氏物語をテーマにした、街歩きのポイントも
教えてくれてます。街歩き好きにささるテーマ(笑)。
そして、宇治の名所めぐりルーレットがあったので、
これはやってみないと・・と回しました。
結果は、「未(ひつじ)」となりました。
じゃあ、今からそこに行きますか・・と思って開いてみました。
結果は、なんと、「萬福寺」
え、さっき行ったばかりやないですか(笑)!
予想しない結果に、とても楽しませてもらいました。

そんな感じで、予想以上に楽しませてもらった、大河ドラマ展でした。

■2 太閤堤跡を眺める

実は、この大河ドラマ展がある施設周辺は、豊臣秀吉が京都・伏見に築城するために行った宇治川の治水事業で築かれた、「太閤堤」が保存されているエリアに出来上がっています。ある意味土木屋にとっても熱いスポットです。

宇治川の右岸にある、太閤堤の遺構。
大河ドラマ館の周辺が史跡に指定されているのです。
こちらは、「石出し」とよばれる、水の勢いを弱める施設のレプリカ。
実際の史跡の上に、軽量の部材で忠実に再現されたものだとか。

実は、ここは旧河道ですが、氾濫を繰り返して河川の形が変わり、陸地化して茶園の中に残されていたものが、発掘調査によって出土したのだそうです。

こちらは、杭で補強された護岸です。
こちらは、結構大掛かりに保存された石積み護岸。実は・・
こちらに示す通り、実際の史跡範囲に、エアモルタル等を駆使して
忠実にその姿を再現したものなのだとか。

ある意味、史跡が出土しても、そのままで放置すると、風化が進んでしまいます。それをこんな形で復元保存するのも、史跡の保全という意味では、新しい取り組みなのだということを学びました。

史跡 宇治川太閤堤跡 の石碑。
整備されたのは、結構新しい時期なのですね。
そして、こちらの立派な塚はというと・・、
「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓」とされる古墳です。

やはり、宇治は古くからいろんな人がやってきて、最期の地になっていたりする場所。まだまだ知らないスポットがたくさんありそうですね。

■3 宇治橋を目指す

さて、宇治川沿いに宇治橋を目指しましょう。

宇治川の堤防沿いの道。堤防沿いに茶園があるのも、
やはり宇治という土地ならではなのでしょうね。
上流にある、天ヶ瀬ダムの放流関係の注意看板。
対岸は、ユニチカの工場と研究施設です。

宇治の街は、もちろん古くからの景勝地であり、お茶の街でもあるのですが、実は昭和初期にできた、このユニチカ(旧:日本レーヨン)の工場ができたことが、この街の発展に関係があるのです。豊富な水量を活かした、合成繊維の生産ができる工場がこの場所にできたのです。

こちらは、昭和40年頃の宇治駅周辺の地図を「今昔マップ」から拾いました。JRの宇治駅の北側には、「日レ宇治工場」が広がります。そして、その対岸には、「茶畑」の地図記号が広がる。そんな街が、昭和以降の宇治の街だったのですね。

ユニチカの工場と茶畑の広がる町、宇治。
勿論有名な社寺や、陵墓などもあるのです。

先ほどの大河ドラマ展で見た絵図では、ユニチカの工場があった場所は、かつての巨椋池につながる旧河道跡。つまり、ちょっと水はけの悪い(逆にいうと、水の得やすい)低地部、という立地が、ひょっとしたら工場を誘致するという意味では、適地であったのかもしれませんね。

■4 宇治橋という橋

そして、宇治といえば・・宇治橋です。

宇治橋は、大阪湾(河口)から約50kmのところに位置します。
JR奈良線の橋の奥に、宇治橋があります。
そして、こちらが宇治橋。
宇治橋の説明板。何と、大化の改新の翌年(646年)に
初代の橋が架けられ、それから架橋され続けているそうです。

そして、ここから上流は、渓谷のような場所が続き、戦前から「宇治川ライン」と呼ばれる景勝地でした。

宇治川ラインという景勝地を示す石碑。
端には擬宝珠が飾られています。
現在の橋は、平成8年(1996年)に拡幅された橋です。
【京都府 宇治橋 平成八年 三月吉日】

ここは、昔の擬宝珠ではなく、平成8年に新造したのですね。京都の三条大橋は、昔の擬宝珠を流用していた気がします。新しいものを作るのもまた良いのではないでしょうか。

この場所は、過去の橋からある、「三の間」という場所です。
昭和の先代の「三の間」は、右岸側に保存されています。
左岸側にある、紫式部像は、観光客のフォトスポットです。
宇治橋の前にある道標。右:平等院方面です。
こちらは、縣神社の鳥居。
これが、宇治橋通りです。こちらは奈良方面に続く旧街道の一部で、
かつての宇治のメインストリートです。
そして、こちらが、平等院に続く参道。
観光客がとても多いです。

今回は、ここまで。やはり黄檗から来ると、お正月の観光客がとても多い場所にやってきた、という感じになる、宇治駅周辺でした。次回は、平等院の中に入っていきますので、お楽しみに。

■5 終わりに

宇治は、源氏物語の「宇治十帖」で知られる、源氏物語ゆかりの地、であることは、昔からよく知っています。大河ドラマで再び脚光を浴びることとなったこの場所。やはり色々と見どころの多い場所でした。ただの景勝地ではなく、豊臣秀吉の「太閤堤」のような土木的な遺産もありますし、ユニチカの工場ができた場所という意味では、近代史的にも興味深いところでもあります。色々と学びの多い、宇治ぶらり街歩きでした。

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