レールで組まれた上屋と、美しい高架橋の駅・・浅草橋駅の魅力に迫る
総武線の浅草橋駅。都心にありながら、実はこれまでほとんど行ったことのない駅です。東京駅からだと、秋葉原駅で乗り換えて1駅。正直なところ、今まであまりなじみのない場所でしたが、今回この駅とその周辺を散策しましたので、その状況をお伝えします。
■浅草橋駅に降り立つ
浅草橋駅といえば、2つ隣の水道橋駅と並んで、「古レールで組まれたホームの上家」が芸術的ともいえる駅です。
■浅草橋駅付近を歩く
では、駅の西口から外に出てみたいと思います。ホーム下が結構お気に入りの場所になりました。
この場所は、かつて江戸時代に越前・福井藩邸があった場所という由来で、こういう地名があったそうです。住居表示が施行されることによって、この地名は姿を消しましたが、架道橋に面影が残っているのですね。
■浅草橋駅東口の発展史
浅草橋駅東口は、表通りに面し、都営浅草線との乗換もでき、多くの人が利用する出口です。
都営浅草線は、かつては「都営地下鉄1号線」と呼ばれていて、東京の地下鉄計画でも重要な位置づけとなる路線です。都営地下鉄としての最初の開業路線が、この浅草橋駅と押上駅を結ぶ区間です。ここが開業したことで、京成押上線の電車が、都心の浅草橋駅まで乗り入れを果たしました。つまり、この駅は、一時期、京成線から都心方面への乗り換えターミナルの役割を果たした、ともいえるでしょう。
この東口駅舎、元々は高架下に小さな改札口があるのみでしたが、1960年に都営浅草線が開通。乗り換え客の増加で手狭になることを見越して、1963年に改築された駅舎です。
この東口駅舎、B1階が都営浅草線、1階が出入口と、裏側に高架下の店舗、2階がJRという形になっていて、雨に濡れずに乗換可能という、かなり合理的な構造ですが、エレベータなどの昇降設備がないのが難点です。なかなか権利関係等が難しく、設置が難しいのだとか。
東口改札内の、ちょっと変わった作りをご紹介しましょう。
恐らく、東口駅舎改築前は、この階段を降りた低い所から、左に降りる階段がついていて、そこに改札がある形だったのでしょうね。
■駅前の魅力に迫る
浅草橋駅といえば、実はこれが有名です。
人形の久月は、テレビCMでもそういえば、「浅草橋」という名前を有名にしていました。私は関西出身なので、このCMより、実は大阪・松屋町に本店を構えるお店のCMのほうがおなじみだった記憶があるのですが(笑)。
この人形店は、浅草橋駅東口付近のかつての町名「浅草茅町」が、かつて江戸時代に「雛市」とよばれる市が出て、ひな人形を扱うようになったため、そこからひな人形を飾る風習が生まれた場所で、そこに誕生した老舗が、この2つのお店、ということだそうです。
では、今度は「浅草橋」を訪ねます。浅草橋は、駅前を走る大通である、「江戸通り」が日本橋川と交差する部分に架かる橋です。江戸通りは、今の国道6号、かつての奥州街道でした。
この地名の由来からすると、浅草橋とは、「浅草に繋がる橋」という意味ともいえます。先ほどJRで見た、「浅草駅までは地下鉄に乗ってください」というのが、納得いくような地名だということがわかります。
あと、浅草橋といえば、「浅草橋ヤング洋品店」という番組を昔何となく見ていたなあと思い出しました。地名は印象的ですが、なかなか行ったことのなかった街。その後、「ASAYAN」になって、モーニング娘。などのアイドルなどが出た番組になりました。その「ASA」は、浅草橋、ですね。
そういえば、この駅、国鉄分割民営化に反対して、過激派が放火してしまったことでも知られています。
何だかんだと実は話題にはなっていた駅ですが、今回初めて散策してみて、なかなか味わい深い場所であることを再認識したのでした。
■終わりに
ちょっぴり不思議な魅力を発する街、浅草橋。総武線と都営浅草線が便利に乗り換えることができる、実はとても便利な駅でもあり、人形の街で、浅草への玄関口としての役割を、昔も今も担っている、というそんな場所です。そこに広がる、古レールの鉄骨上家と、高架下の丸みを帯びたホームの張り出しが並ぶ、戦前にできた素晴らしい高架駅。見どころ満載の散策でした。