◆横浜を歩く◆③鉄道の歴史をめぐる横浜の街歩き
4月の横浜の街歩き。北仲地区で開催されていた、都市デザイン横浜展を見てから、馬車道や野毛を歩き、旧東急東横線の廃線跡の高架下を歩くところまで来ました。
(前回の投稿はこちら)
今回は、桜木町駅の近くから、戸部や平沼周辺を歩きました。何だか鉄分高め(とは言っても、なかなか列車が走っている姿を見かけない)の街歩きになりましたので、ご紹介します。
■東横線の廃線跡を眺める
廃線跡ですが、2本の線路の成り立ちが違うのが興味深い区間です。2004年に廃止されてから、長らく使用されない状態で放置されている感もありますが、高架橋を歩道にして使う計画なども進行しているようですが、なかなかうまく進まないようです。
高島線は、1990年代まで地上を走り、地上には高島貨物駅がありました。それが廃止され、いまではみなとみらい線の新高島駅ができ、付近にはビルが建ち並ぶ新しい街となりました。その変化の激しさ、驚かされます。今昔マップで、1980年代と今の地図を見比べても、その違いに驚かされます。
■二代目横浜駅の跡地を発見
さて、国道1号のガードのすぐ脇のマンション敷地内に、二代目横浜駅の遺構が残されています。駅舎のレンガの一部が保存されています。
今昔マップで、2代目横浜駅のことを説明しましょう。初代横浜駅は、今回の街歩きの起点となった、桜木町駅でした。そこから西側に線路を伸ばす際、桜木町駅は東海道から南に外れた場所にあるため、西側に向かう列車は、横浜駅で折り返し、高島町付近で西に向かう線路が新設されました。ただ、それでは不便なので、この線路に東京方面から折り返し無しで通る線路を建設し、ここに2代目横浜駅が作られました。この遺構は、この当時の駅の建物になります。但し、この線路は南に迂回する形で作られたためか、短命に終わり、まっすぐ横浜市街の北部を通過する現在の線路が建設され、新たな横浜駅が作られ、2代目横浜駅は廃止されることとなったのです。
■東横線高島町駅跡
このマンションの敷地のすぐ隣に、廃止された高架橋が、ちょっと変わった形をしていることを見つけられます。
東急東横線の高島町駅跡。老朽化が進んでいるためか、一部解体の工事が進んでいます。東急東横線は、2004年1月に横浜~桜木町駅間が廃止され、一部地下化、みなとみらい線への直通運転を開始しています。廃止直前のことが記されたサイトを見つけました。
これを見ると、アーチ状にくりぬかれた橋脚は、高架下の通路の一部で、解体が進む部分が、駅のコンコースであったことがわかります。
高島橋は、関東大震災の震災復興事業で架けられた、震災復興橋のひとつです。横浜の石崎川、大岡川などには、数多くの震災復興橋が残っています。
高島町の交差点に到着。今回はここまで。
■終わりに■
桜木町駅から、線路沿いに高島町までやって来ました。昔の東急東横線の廃線跡や、旧・第2代横浜駅の遺構など、少し鉄分高めの探索となりました(笑)。続きは石崎川沿いを歩きます。こちらも古い橋だけでなく、鉄分が濃かったりと、なかなか楽しい散策が楽しめました。続きをお楽しみに。
(続きは、こちら)