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★川崎市、宿河原~溝の口を歩く★(後編:二ヶ領用水と久地円筒分水)
川崎市の南武線沿線。先日飛来した川崎市制100周年を記念する「ブルーインパルス」を見に、宿河原駅と久地駅の間の多摩川河川敷付近を歩きました。(前回の記事はこちら)
川崎市の多摩川沿いといえば、実は、「二ヶ領用水」がとても有名です。
江戸時代から多摩川から水を引き込み、多摩川右岸を潤し続けている用水です。多摩川に堰があり、いくつかの分水もあり、土木の仕事をしている身からしても、とても興味深い施設です。久地駅から溝の口駅までの間、二ヶ領用水やそれに関連する施設を見て歩きました。
■二ヶ領用水が潤す地域
二ヶ領用水は、徳川家康に命じられた、小泉次太夫さんによって1611年に作られた用水路です。
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多摩川と丘陵地帯に囲まれた低地が、潤している範囲です。
下図に、国土地理院の「地形分類図」を参照したので見てみましょう。多摩川は、昔は流路が一定ではなく、この低地の中を自由に流れていて、この低地は、川が流れた痕跡の「旧河道(青)」と、川が運んできた土砂が堆積してできた微高地の「自然堤防(黄色)」、そして氾濫した際に水に浸かる、「氾濫平野(緑)」でできています。
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ちなみに、国土交通省の「多摩川水系河川整備方針」によると、この地区(溝の口より上流部分)の低地は、「扇状地性平野」と呼ばれています。扇状地は、土石流等による土砂(主に砂礫や砂など)が堆積しているエリアです。砂礫や砂は、通水性が良いので、別な見方をすると、保水性が悪く、耕作をする際には水が少ないため、人工的に用水路を開削し、耕作に適した土地に改変していくことがされた、ということなのです。
つまり、二ヶ領用水は、この多摩川右岸の低地の比較的標高の高い部分を通り、低地の各エリアに水を分配する役割を担っています。ところが、多摩川が増水してしまった際には、大量に水が流れ込むと、氾濫した水を低地の各エリアに分配する役割を担ってしまうことになるので、実は治水上も重要で、川崎市としては人工的に作ったこの用水を、今では「河川」としても管理している形になっています。
■二ヶ領用水を歩く
すっかり前置きが長くなってしまったので(笑)、久地駅から二ヶ領用水沿いに歩いてみたいと思います。
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そして左の山が、「津田山」です。
津田山とは、玉川電鉄(東急田園都市線の前身)の社長だった津田興二さんの名前が付いています。戦前に玉電が遊園地として開発しようとした名残で、今も石碑が建っているとか。
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この堰ですが、この下流の用水路に一定量の水を供給し、残った水は堰の下流の放水路に流下させ、多摩川に合流させる役割を担っています。
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左から合流する川はというと・・、
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このトンネルは、実は「平瀬川」という河川になります。平瀬川は、津田山の向こう側にある谷筋を流れる川で、かつては溝の口の市街地を流れて多摩川に合流していましたが、戦前に改良工事が行われ、この地で二ヶ領用水の余水と合流する形で多摩川に注ぐ川になりました。ただ、平瀬川の流域の都市化が進み、津田山付近での氾濫も目立ったため、バイパス水路をもう1本増設する形になり、現在に至っています。
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かつては溝の口方面に流れていたものを、トンネルでショートカットしています。
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■久地円筒分水
さて、二ヶ領用水は、この平瀬川と合流して多摩川に注ぐのは余水であり、用水として使われる水は、平瀬川の下をくぐり、この施設に到達します。
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ここから平瀬川の下をくぐるサイフォン式の水路が分岐しています。
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サイフォン式の地下水路の流末にある、円筒形の放水口。この円筒分水は、平瀬川が隧道として合流してくる形が出来上がった、昭和16年(1941年)に完成しました。
なぜ円筒形になっているかというと、ここから下流側には、いくつかの用水路に水を分配する必要があるのですが、その分配方法で争いごとが絶えなかったそうです。この円筒分水という方法を使うと、出てくる水の量に対し、取水する角度を一定に決めておけば、流量の変化に関係なく、ブレない分配方法で水を分けることができるという、画期的なシステムです。
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角度により水の流量が分配される仕組みです。
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■溝の口駅を目指す
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交通量はとても多かったです。
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ちょっとした親水護岸となっています。
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東京と大山を結ぶ、「青山道大山街道」としてにぎわいました。
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ここから駅を目指します。
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溝の口駅に到着です。
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昔の玉電の終点でもありました。
■終わりに
川崎市内の二ヶ領用水と久地円筒分水。実はずっと前から行きたいと思っていた場所でしたが、ようやく実現しました。ざっと歩いただけでもとても興味深い場所が沢山あり、また近いうちに再訪したいと思う場所でした。