〇大人の博物館見学・・と言う名のオタ活(笑)〇 鉄道博物館① 1号機関車と開業当時の鉄道
この夏休みは、帰省をせずに(※正しくは、逆に「帰省される側になった」のが正しいですが・・)過ごしています。そんな中でも、近い場所で行ってみたい場所として、
「鉄道博物館」
に行ってきましたので、その模様を書きたいと思います。
■大宮駅から鉄道博物館に向かう
鉄道博物館とは、さいたま市にある、鉄道のことが多数展示されている博物館です。大宮駅から1駅、「ニューシャトル」という新交通システムでアクセスできます。
■てっぱくの中へ
てっぱくの開園待ち行列に並んでいます。小さなお子様連れがほとんど。たまに鉄道少年がいて、大人の博物館見学は少数派、ですが、いなくはないようです(笑)。
さあ、中に入りました。まず最初に見たのは・・、これです。
■1号機関車
この1号機関車ですが、鉄道開業当時にイギリスから輸入されたもので、明治時代に本線で活躍してから関西地区で入替機となり、その後、九州の島原鉄道に払い下げられ、そこで活躍していましたが、昭和に入り、万世橋の交通博物館が開業する際に、保存・展示用に再び東京に戻ってきました。色々と改造され、形も変わっていたようですが、オリジナルに近い形に復元されているそうです。
そのエピソードは、阿川弘之さん(有名な作家さんで、「南蛮阿房列車」などを書いた鉄道好きで有名、阿川佐和子さんの父)が書いた絵本「きかんしゃやえもん」にも書かれています。(かなり脚色されているようですが)
その1号機関車ですが、1958年に鉄道記念物に指定され、1997年に、鉄道車両としては初の国指定重要文化財に指定されています。
車体には、「VULCAN FOUNDARY Co. 1871年、ランカシャー、イングランド」という銘板と一緒に、「惜別感無量 昭和5年6月 為記念 島鉄社長 植木元太郎」という銘板もあります。島鉄がこの車両を手放す際に惜別式を行った記念、だそうです。
島鉄の植木元太郎さんは、島原半島に鉄道を敷設することに尽力した方で、島鉄開業の際に鉄道開業時の機関車を大量に購入し、昭和5年にこの機関車を手放す際も、今後も使い続けたい気持ちを持っていたのに、惜別するのはもったいないから、と言う意味でのこのプレート設置だったようです。この機関車の代替機を譲渡することなど、条件も厳しかったそうです。
この機関車、のちの機関車とは違い、石炭や水を機関車に入れるのが難しそうです。ホッパーなどで給炭するのも難しそう。そういう意味でも、早い時期に使えないようになったのでしょうね。それを島原鉄道が使い続けていたのは特筆に値します。やはり不便でも最古の車両を使い続けるような、そんな気概があったのでしょうかね。
■1号機関車を支えたレール
■鉄道開業当時のこと
1号機関車が走った頃の新橋停車場の姿が再現されていました。
まだ当時はだだっ広い場所だったようです。停車場の近くを汐留川が流れていたりと、舟運との連携も考えられていた場所だったのでしょう。
入口すぐ脇に、高輪築堤から出土した石が展示されています。
当時の路線は、陸側に土地が無く、鉄道が忌避される存在だったので、海上に築堤して海を走っていたそうです。その名残が、最近高輪ゲートウェイ駅付近の再開発工事で出土し、話題になりました。
■終わりに
鉄道博物館でのオタ活。1号機関車は、この博物館に車でのエピソードもなかなか豊富なので、とても印象的です。その現物がまだしっかり残っているのはすごいです。
博物館に入ってちょっとだけ活動しただけで、面白いエピソードが次々に出てきます。他にもいろんなネタを眺めてきましたので、次回以降で紹介したいと思います。