はじめまして。
加藤芦屋守茶太次郎と申します。
当noteは、今はもうなくなりつつある古き時代の予想屋による競艇の予想を公開することと、予想屋の歴史を残すということを目的に立ち上げました。

予想屋といっても、新聞記者や今ネット上であちこちでやっているような人とは違います。

古くから競艇場に足を運んでいる方なら知っているかと思いますが、お立ち台みたいな台の上に立ち、声を枯らして客引きをしながら、予想を書いたメモを渡し、台に備え付けているレース表に的中するたびに赤い的の紙を貼る……そんなことをしながら生計を立てていた人たちです。

私の家は、競艇の発祥地と呼ばれる大村競艇から祖父、父、兄と三代続いた予想屋一族で、私自身も跡を継ぐための丁稚修行をしていました。

しかし、ひとりはカタギの仕事についたほうがいいというオヤジの考えから、私は普通のサラリーマンとなり、現在に至っています。

予想屋は、スポーツ新聞の発達やインターネットの登場により、誰もが簡単に詳しい情報を無料で手に入るようになり、それがきっかけで一気に衰退し、没落していきました。

かつて我が家が拠点としていた競艇場には24あった予想屋の台も、生活が出来ないということで、瞬く間に減っていき、今は片手ぐらいの数しか残っていない記憶があります。

当然我が家も例に漏れず没落し、予想屋の世界しか知らないオヤジは、年齢的なことからもほかの仕事につくことなどできず、かつての栄光が戻ることを願いながら、辞めていく仲間を見送りながらいろいろ工夫してやっていましたが、時節の流れには勝てず、数年前に約62年間の予想屋の人生に幕を降しました。

そんなオヤジは、現在諸事情で家財を全て処分してひとり高齢者住宅に身を置くことになり、そこで私と定期的に会って話をするようになりました。

そして、数ヶ月前からにオヤジの部屋に置いてある趣味で書いている川柳のノートを見つけて読んだとき、予想屋時代を懐かしむ内容のものがいくつもあること、自分は全てを失い、もう何もないという内容の川柳があることを知り、オヤジが哀れに思い、それなら今はなき予想屋の存在を予想屋の落日のきっかけとなったインターネットで示すのはどうかと私は個人的に考えるようになりました。

オヤジにそのことを話しましたが、当人はインターネットのことなと当然知りませんので、なんのことやらというふうになりましたが、予想屋の歴史を残したいという話の部分だけは理解してくれて、自分が50年以上やってきた予想屋の歴史がどんな形でも残るなら、おまえに任せると言ってくれました。

そこでいろいろ調べているうちに、今回のnoteにたどり着いた次第です。

最初に書いたように目的はnoteを通じて、昔いた予想屋の存在を示すことなので、これからはその昔いた予想屋の血とノウハウを受け継いでいる私が予想を出しつつ、昔の予想屋の歴史にも触れていきますので、よろしくお願い致します。

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