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「楽しかった」のハードルの話

「TRPGは合う人と遊べ」論への疑問

時折SNSで流れてくる「TRPGはスタイルの合う人と遊ばないと悲劇が起こる」という話に、私は半分くらい疑問符を覚えています。

おそらく私が遊んでいる小さな世界の中で、私は比較的社交的な方なのでしょう。
野良卓こそやっていませんが、Xで言う「フォロワーのフォロワー」と遊ぶ機会が多く、その2/3ほどの方とは今でもたまにお話をさせてもらってます。
個々を比べると、全然趣味もプレイスタイルも、使用システムもローカルルールも異なる集団ですが、どの集団にお邪魔しても和やかにセッションをプレイし、「楽しかった」の想いを持って戻ってきた記憶があります。

だからこそ『一般論の警告』で他人のコミュニティを閉鎖的にしてしまうことに、「勿体無い」という気持ちを覚えるのです。

スタイルだけど、一般論じゃない

ですが私は「限られた人とだけ遊ぶ」ことが悪いとは思っていません。
むしろオフラインセッションでは、「コンベンションなどはせず、友達同士とだけ遊ぶ」なんて当たり前の話でした。

特定の人とだけ遊びたくなるのには、色々な事情があります。
ただ単純に「人見知りで知らない人が怖い」という性格の人なら、そこにTRPGという遊びでまで外部交流を求めるのは酷でしょう。
あとはたとえば「方向性の違いで被害にあった/被害を出した」経験がある人なら、同じ轍は踏みたくないのは当然だと思います。
他にも、周りに勧めづらいニッチなものが好きで…という人は、何を勧めても理解を得られる仲間の存在は貴重です。

だからこそ、「特定の人とだけ遊ぶ」というスタイルは間違っていない
それが合う人は是非そうしてほしい。

ただ、それを一般論にしてほしくない
事故が起こるぞ、という言葉で、未知の出会いをリスクにしないでほしい。
あくまで個々人が選ぶプレイスタイルの1つであってほしいだけなのです。

100%の体験じゃなくても「楽しかった」と思うから

思うに「気の合う人と遊べ」には2つの意味があって、ひとつは先程あった「被害者/加害者にならないように」という話なのですが。
もうひとつ、「セッション経験を最大限にするため」というのもあるでしょう。
一度しか体験できない大作であれば、最高の仲間と遊びたい。
これらは十分、遊ぶ相手を選ぶ理由になります。

なのでここからはあくまで「こういう人だっているよ」の紹介となるのですが…
「100%の体験でなくても楽しかったと思える」というのも、ひとつ「大勢の人と遊ぶ」素質になるのかもしれないな、と。

未知の人との探り探りのセッション。
シナリオ経験に完全に浸れなくても、その不和を乗り越えて心地よく終えられたセッション。
そういった「60%のセッション」「普通のセッション」もヨシとできることが、未知の卓メンバーに挑戦して楽しめる人の素質のひとつ…なのかもしれません。

…まあ、それはそれとして。

『協力システムにおけるPvP』や『ハードな要素』といった、俗に言う「人を選ぶシナリオ」の場合は、互いにいい着地点を話し合える相手とセッションしたほうがいいと私も思います。
「言葉に出さなくてもプレイスタイルが一致できる」と慢心せず、言わぬすれ違いより言う折衝、ですよ。

巷のTRPG失敗談には「相談しなかったこと」が原因のものがちらほら見受けられるので…。

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