見出し画像

【相談1】なぜ人を殺してはいけないのか〔書き起こし〕

ポンセ「じゃあ、読みますね。・・・重た~い!」
ちゃ柴「重たい?」
ポ「なぜ人殺しをしてはいけないのですか?」
ち「あ、重たい!」
ポ「誰がそんな事を決めつけたのですか?人殺しがダメだなんて、人間の勝手な思い込みですよね?」
ち「うわ~、まさかそんな物が一番初めに出てくるとは思わなんだ。」
ポ「これ、ちょっと気軽にトークする様な内容じゃないですよね。当たり前だからいけないとかじゃなくて、ちゃんと?」
ち「ちゃんと。学生が納得するような感じで。え~!予定外やったな。一番初めにこんなものが出るとは。」
ポ「まあ、なんか答えはあるけれどね。」
ち「あ、答えがある?聞いていい?」
ポ「じゃあ、俺からいきましょうか。昔『朝から生テレビ』が結構好きで、学生の頃にグーッと観入ってしまった回があって。その時に凄い事を言っている人がいたんですよ。そもそも人権なんてものはイデオロギーだから無いという風に言っていて。日本国憲法では基本的人権の尊重が決められていて、人権宣言とかその辺りで人権という考えが出てきたけれど、そもそも人権というものは無かった。」
ち「概念やけんな。」
ポ「そう。だけど、人権を認めないと、自分の命を奪われるという危険にさらされる。いわゆる法治国家の枠組みではリスクを背負う事になる。だから、人の命を奪ってはいけないという中で人間はやっているという事を言っていて。それに凄い納得がいったんですよね。」
ち「めぐりめぐって自分に返ってくるよっていう。」
ポ「そう。だから、逆に命を奪っていい世界を考えた時に、自分の感情や恨みで人に手を出す事ができたとしても、自分も同じリスクを背負う事になるのだから、それは嫌だ。こういう風に考えると、やっぱりしない方がいい。」
ち「“やる事ばかりを考えるけれど、自分がやられる事も考えないといけないよ”という事ね。」
ポ「ごめんなさい。なんか急に社会を斬っちゃって。」
ち「全然いいよ。なぜ人殺しをしてはいけないのですか?・・・まあ、普通に考えたら“悲しむ人がいるから”ってなるよなあ。結構、ニュースとか観ていたら、殺人事件とかを考える場合、みんな被害者側になって考える事が多いよね。ただ、加害者の家族もおるんよな。その加害者の家族って、あまりクローズアップはされないけれど、凄く悲惨な目に遭う。日本って連帯責任で物事を考えるから。誰かが人殺しをしました、“その加害者家族もみんな連帯で責任を取りなさい”って話になる。ただ、その加害者家族っていうのは、もちろん被害者に申し訳ないという気持ちはあるのだけれど、親だったとしたら自分の中で“子供の育て方が悪かった”とか色々責めたりして、凄く悲惨な人生を歩む事になる。だから、自分の一時の感情で人殺しをした場合、周りにいる人等も不幸になるって事をまず考えてほしいなと思うんよな。被害者家族を助ける団体って日本にはたくさんあるんだけれど、加害者家族を助ける団体って日本にいくつあるか知ってる?」
ポ「・・・」
ち「二つしかない。もう、圧倒的に足りてない。昔、加害者家族を描いた映画があったんよ。何やったかな。確か、佐藤浩市さんと志田未来さんの映画やったんやけどな。」
ポ「俺、でも、どっちかって言うと被害者の方が守られていない気がする。加害者ばっかり助けられるでしょ?被害者と被害者家族を一番に考えるべきで。まあ、加害者家族は確かに罪はないかもしれないけれど。加害者が独断で行う場合があるから。加害者家族は関係ない・・・って言うか。う~ん・・・。」
ち「だから、ひとつのストッパーになってほしいっていう話。自分が何か行動を起こす時に、それをやってしまったら、自分の親、友達、いたとしたら子供、みんなが不幸になるというのを背中にしょっているというのを考えてストッパーにしてほしい。」
ポ「うんうんうん。」
ち「あ、さっき言っていた映画『誰も守ってくれない』だ。これが加害者家族を描いた映画なんやけどな。これを観たらいろいろ考える部分はあると思う。」
ポ「“そういう人間に育てたのが悪い”っていう論調にはなるよね。」
ち「ただ、そこは成人しとっても言われるのがあるんよなあ。特に芸能人とかは。誰々の息子とか。」
ポ「これ、実際の事件とか言ってもいいの?」
ち「う~ん、どうしようかなあ。それはやめとこうかな。実際の事件はちょっと外しておいた方がいいかな。」
ポ「そうか。まあ、その辺は言及しない事にしましょう。この話はこれぐらいでやめときますか。」
ち「そうやな。まあ、とりあえずポンセさんは“やるんやったらやられるリスクあるよ”っていう。」
ポ「そんな世の中っていいの?っていう。」
ち「僕は“悲しむ人がいるから、その人らの事を考えてやってね”っていう感じかな。」
ポ「うん。」



いいなと思ったら応援しよう!