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自分の犯した罪

今春、母が亡くなりました。
今夏までに儀礼的にはいろんなものが一段落し、今後は手続き的なことや片付けを行っていく段階です。
そういう意味では、一区切りしたといえます。

一般的にはそうなんでしょうが、自分の場合はそうではありませんでした。

体調不良を訴えつつも頑なに病院に行こうとしない母に対し、僕は時に強い言葉を使いながら、行くよう説得をしていました。

母は持病があり、過去に何度も入院しています。入院するきっかけになる「ある症状」があった場合、すぐに受診しろというお話を主治医からいただいていました。
しかしながら、僕に迷惑をかけると思っているのか、病院嫌い(主治医に生活習慣を怒られるから)ゆえか、体調不良を隠す癖がありました。

数日間は「ある症状」があるかは断定できず、風邪や他の病気を疑うようなこともあったので、僕としてもなんともしがたかったのですが、亡くなる前日、遂に「ある症状」が出ていると確信に至りました。

確信に至ったので、病院に行くぞと声をかけるも母は抵抗し、僕が病院に電話をかけるも、数コールの間に出ず、コールの間に「もういいから」と遮られたような格好でした。

そして「そのまま死んでもいいのか」など、何とか病院に行かせるため強い言葉を使い、翻意させようとしましたが、母には逆効果になってしまい、頑なに拒まれました。

近所に住む妹とも相談し、今日いっぱいは本人の意志を聞く、しかし明朝改善が見られなければ必ず病院に行くということにしました。

そしてその夜、母も「明日病院に行く」と言ってくれました。

今思えば、そこが最後に母を救えるポイントで、「明日じゃなくて今行こう」と声をかければ何とかなったのかもしれない。

翌朝、病院に行く約束だったので部屋に行くと、変わり果てた姿の母がありました。

検死によれば、明け方3時頃に亡くなっていたとのこと。

夜にやっとの思いで考えを変えてくれた、その時に救急で行っていれば、あるいはその前に引きずってでも連れて行っていれば、違った結末が待っていたかもしれません。
数日間体調不良を訴えていたので、その時点で病院に行っていても助からなかったかもしれません。
これは全くわからないです。

でも、僕自身が可能性を消す選択をしてしまった。
言わば、僕が殺したというようなものだと思います。

葬儀の場でも、みんな「お前のせいじゃない」と声をかけてくれましたが、どうしてもその念が消えません。

まして、最後に直接交わした言葉は、命を救おうとしたからという理由があるとはいえ、到底ここに書けないようなものです。

先日、街を歩いていた時に、関西では珍しく仙台名物の「せり鍋」を出すお店を見かけました。

母がテレビでたまたま見てからせり鍋を食べてみたい、根を食べてみたいというので、せりの本場である秋田に連れていき、これまた母が泊まってみたいと言っていたドーミーインに泊まったことがあります。

その際、秋田でも鍋でせりの根を食べるかどうかはお店によって考えが違い、半々ぐらいの割合ということでした。
時節柄忘年会シーズンでもあったため、受け入れてくれる店が少なく、何とか入れたお店は根をほとんど出してくれませんでした。
翌日、違う飲食店で何とか根を食べることができましたが、母の本意は達成できたのか微妙なところで、そのうち仙台でリベンジさせてあげたいなと思っていました。

まちなかのふとしたもの、何気なく見聞きしたこと、それらすべての母との思い出が、母を殺した自分に突き刺さること、それはこれから死ぬまで終わらないことを改めて知りました。

一生、自分のせいでできなかったこと、母の未来を奪ったことと向き合わないといけないのです。

僕は頻繁に出かけますが、それはそうしていれば考えなくて済むからです。言わば、逃げているのです。自分の犯した罪から。

心の中ではそういったことを理解しつつも、自分への改めての戒めの意味も込めて、文字にしようと思いました。

ヘッダーの写真の場所のあたり、神戸の海に母は眠っています。

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