度肝を抜かれて、肋へし折れた。
花は好きだ。
春は桜、夏は向日葵、秋は桔梗、冬は山茶花と四季折々の美しさを楽しむことができる。その極彩色は見るものを圧倒させ、時に儚さを、時に暖かさを与える。
しかし、彼らは我々人間にそれを感じさせる為に地表を彩るわけでは決してない。脈々と受け継いできた「種の保存」という大命を全うするべく、放ち、受け取り、咲く。繋ぐ。咲いたからには、全力で生き、種の存続に精を出さなければならない。生きとし生けるもの、全てそうである。
それは「ロックバンド」も同じなはずだ。
彼のバンドと出会ったのは、忘れもしない、その時代を生きたあらゆる人間の生への価値観を大きく塗り替えたであろう、あの大震災が起こった頃だ。
今までに体験したこともない未曽有の大混乱で、あぁ、僕たちの昨日が何もないじゃないか、楽しい明日はどこへ流されたんだと、童心ながらに感じたのを覚えている。
誰もが「きっといつか訪れる安息」等という偽善的で確実性のない言葉の濁流をもがいているなか、一筋のキラキラとした虹が輪になって僕を包んだ。
少なくともあの時の僕は、そう感じたのだ。
2006年、兵庫県赤穂市で生まれた彼らは「ソウルジャンクションズ」
関西圏で着々と力をつけていった彼らは、2010年辺りから活動拠点を東京に移し、ワンマンライブの成功やテレビ番組のED曲への抜擢、果てには24時間テレビへの出演等の成長を遂げ、惜しくも2012年にその華々しいバンド人生に幕を下ろした。
しかし現実とは非情なもので、上記のような6年を走り抜けていったこのバンドだが、僕の周りでは誰一人として知る者はいなかった。これだけ全力で生き、咲き誇っていたにも関わらず、だ。
幾らか時間は経ったが、未だに僕は出会えていない。もしかしたら、そんな機会はもはや無いのかもしれない。
けれど一つだけ確かなのは、彼らの放った種子は僕の中でちゃんと発芽して、育っている。リレーをたやすまいと、必死で生きているのだ。そうして僕が今度は、その命を繋いでいく役目を果たそうじゃないか。
雨上がりの空が、やけに眩しく感じた。
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