消したい、もしくは覚えていたい。
「美しいひと」は、時に花になぞらえて語られる。
例えば、「綺麗な薔薇には棘がある。」という言葉。美しい人にもどこか他人を寄せ付けがたいトゲのようなものがあり、外見だけに気を取られていると痛い思いをするぞ、という意味。また、「柳のように美しい。」というのもある。細く、しなやかな腰つきのことを柳腰。柳の葉のように細く美しい眉を柳眉(リュウビ)などと形容し、女性らしい曲線美を思い起こさせる。
そんな数ある例えの中でも特に聞き馴染みのあるものといえば、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。」ということわざだろう。
伸びた細い茎が、すらりとした立ち姿に見える芍薬。横向きに花を咲かせ、ぺたんと座る女性をイメージさせる牡丹。まっすぐに伸びた茎からややうつむき加減に花を咲かせる百合、そよ風に揺れるその花弁は優雅に歩く姿のようである。
もちろん一つ一つの花の美しさだけで語られているわけではない。それぞれの花言葉は、「慎ましさ」「風格」「純粋」と現代まで遺ってきた大和撫子のイメージそのものではないだろうか。
さらにこの三つの花は、リレーのバトンをつなぐように順番に咲いていく。
牡丹は4月末から5月の初め、芍薬は5月の中旬から6月の末に。そこから6月から8月にかけて百合の花が、とまさに座っていた女性が立ち上がり、そして歩き出すという一連の流れになっており、姿かたちだけではない立ち振る舞いとしての美しさも感じられる。
しかしこのことわざには、別のとらえ方もあるようだ。
それは生薬の用い方によるもの、という説である。
芍薬の根には痛みを軽減したり筋肉のこわばりをとったりする効果もあり、イライラしたり、気のたっている状態を和らげる際に用いられる。
また、牡丹の根の皮の部分には滞った血液の循環を改善する効果、百合の球根は心身症解消に、といった具合だ。つまり、「立てば芍薬(以下略)」のことわざには「持病を改善し、心身ともに健康な女性」という意味もあるようだ。
なるほど、おもしろい。
もちろん上記のように病気もなく、元気がありはつらつで、たくましさを感じる女性の方が現代社会的に求められる女性像なのだと理解はしている。
それでもぼくは、なよっとして線が細く、薄幸そうで、儚げな女性を求めてしまう。
大和撫子を探してしまう。
こんな話をしているとあの子のことを思い出す。
彼女との出会いは数年前。ラブロマンス映画のような、衝撃的な出会いなんかではなくて、友人の勧めで入った花屋に並べられていた沢山の中の一輪、それがたまたま目についた、という認識に過ぎなかった。
少しずつ彼女と接するうちに、飼い猫にあしらわれているようなどこか掴みきれない彼女の言葉や行動を理解しようと努力を重ねた。なかなか根気のいる日々だったように思う。それを楽しく感じていたのも、また事実だ。
彼女と過ごした記憶の中で最も甘い思い出は、彼女と登ったあの展望台での時間だ。
階下に広がる夜のネオン街が、まるで太陽を反射した海のようにまばゆい光に満ちていて、それに照らされた彼女の横顔は、さながらフェルメールが描いた真珠の耳飾りの少女のように、儚げで美しかったのを鮮明に覚えている。
つい口走った僕の一言で、君を不安にさせたこともあった。コトバは鋭い刃となって、君を傷つけたのかもしれない。
だがそれも今にして思えば、これからの多くの苦悩や困難を乗り越えるためであり、その先の虹を目指すための翼だったんだなと感じている。
そうなんだと信じている。
君と僕との挑戦はこれからも続く。
長く険しい道のりに、心が折れそうになるときがあるかもしれない。僕は、それを支えたいと思っていて、君と一緒に、羽ばたいてみたいと思っている。
代わりに、ぼくから貴女への憧れをここに置いていこうと思う。
貴女がいたから君がいて、ぼくは僕でいられた。貴女の精一杯の想いは君の声となって、ぼくに至上の幸福を届けてくれた。しかし貴女の犯した過ちは一生消えることなどないのだろう、自身の心からさえも。
あの綺麗な花には、ちゃんと棘があったのだ。
そしてようやく分かった。
貴女は薔薇でも、柳でも、芍薬でも牡丹でも百合でもなかった。
貴女は、たんぽぽだった。
花屋に並んだ姿は幻で、本当の貴女は野原にひっそりと咲いていた、ちいさな綿帽子。
ぼくがなにを想っているかなんてつゆしらず、貴女はどこかへ行ってしまうのだろう。
「ねぇねぇ、たんぽぽの花言葉って知ってる?」
あのからかうような声が聞こえてきたような気がした。
「え?あぁ、聞いたことがあるぞ。確か——。」
瞬間、強い風が吹いて、僕の声を遮るように綿帽子が一斉に飛び立っていく。
あんなに儚くて消えそうだったものはそこには無く、力強く大空へ舞い上がっていくその姿は、必死に生きようとする叫びのようだった。
そして温かくて柔らかな白が、ぼくの視界を包んでいく。
ああ、ぼくの大和撫子。貴女は本当に綺麗だ。
ありがとう、お元気で。
「ありがとう。元気でね、またいつか。」