エゴイズムを振りかざして。
「今年は例年に比べ、記録的な猛暑でーーー。」
偶然点けていたテレビから、空調がよく効いているのであろう、さわやかな笑顔を浮かべた女性キャスターがハキハキと話をしている。
今日の天気が気になるからそこまでは、と放置していると流れてくる凶悪事件の一報。
スマートフォンの普及により、世界は瞬く間に変わっていった。
テレビを観なくとも、個人のジャーナリストや批評家の方々がSNSやまとめサイトでこういった情報をすぐに拡散してくれる。その速度は時として、本人たちでさえ想像もしていなかったスピードで流れていく。
そこにただようさまざまな言葉たちを拾って、自分勝手にぼくを投影していく。
ときには、被害者に。
そしてときには、加害者に。
「あんなことをする子じゃなかった。」
「無口で大人しい印象で、とてもそんなことをするようには見えなかった。」
「昔から何を考えているのか分からなくて、ちょっと怖かった。」
と、親族やかつての友人、その他もろもろ関わってきたであろう人たちのインタビューを見つめながら、こんなことしない人生もあっただろうに、と思って。
知った気でいるなよ、と自分自身に嫌気がさす。
いまではなく過去のことを知っただけなのに、まるでその人のことを何もかも知っているつもりになっているという恐怖。
Twitterを遡っても、LINEを見返しても、通話履歴を確認しても、親族と話しても、友人と話しても、卒業アルバムを掘り返しても、見えるのは面影だけ。それだけのはずなのに。
ぼくの携帯の検索履歴を消すたびに、こんな現実ごと全部なくなっちゃえばいいのになぁと、思う。
締め切った部屋はジメジメとした嫌な暑さで、寝癖のついたままエアコンを点けて汗をぬぐった。
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