3年前の今日、私は新築一軒家を出て2人暮らしを始めた。
東海圏の桜は満開。
今週に入ってからというもの、私は通勤中、会社まで続く満開の桜並木を通り、春を愛でている。
東京や神奈川はもう葉桜も混じっているらしい。
ふと思い出すと、今日は元夫と暮らした新築一軒家を出てちょうど3年目になる日。
あの春の今頃は、桜はまだ開花していなかったように思う。
いや、私自身に回りを見る余裕もなくて、木々を見上げて四季を楽しむことができていなかっただけかもしれない。
新しい土地、といっても元自宅から車で15~20分程度だが、一人でも娘を育てていける環境の整った場所までの距離は、車で15分というよりももっと遠く感じた。
腕自慢の友人が3人、私の母と共に引っ越しを手伝ってくれた。
何も家具の入っていない部屋に入るなんて何年ぶりだろうと思いながら、リノベーションしたての部屋を内見した日、
気持ちの良い日差しが入るその部屋をとても気に入り、ほぼ直感で家を決めた。
この気持ちを書き留めておくきっかけとしてまず上がるのは、自分の心に整理がついた離婚3年目を私自身が過ごせたからだ。
1,2年目は元夫との距離もわからず、彼の発する何気ない言葉に無駄に傷つき、自己防衛のために過剰な攻撃する言葉を発してしまったこともあった。
それくらい、月に2度ほどは元夫の家に娘が遊びに行くとは言え、「一人で育てる」ことは大変だった。
私の手取りでは手当ももらうことが出来ないし、助成も受けることが出来ない。
友達に言われる前は、それが当たり前と片付けてしまっていた。
離婚3年目、中途採用が主な人材確保だった自身の勤務先に、何年ぶりという新卒採用が決まり、その採用から入社、教育までアテンドのほとんどを任されることが決まった。
心の整理のトリガーとして、新卒教育が大きく関わっている気がする。
ひな鳥のような生まれたてほやほやの社会人の彼らと、ここで敢えて使うとつれば「蜜」に関わる1年だった。(コロナだから蜜がすごく難しくて悩ましい1年だったけどそれはまた別に記す)
心理学、コーチング、行動科学。彼らのためになる目についた本を買いあさりインプットしてはアウトプットを繰り返す日々。
その中で、自分に「待つ・促す・支える」というようなことが、自然と身についた感覚があった。
ずっと抵抗があった「いい・悪いのジャッジが必要のないこともある」ということを、心から納得できたもこの時期だ。
要は、環境が変わり、任される仕事が増え、私自身も変わることが出来たのだ。
(周りからの総括としては「出来ていない」ということはありえるとして、以前の自分よりは、という表現にしておく。)
なんでそんなことを気付いたかというと、自分でも驚くほど今年は桜を愛でているからだ。
四季が美しいと本能的に感じたのは、既婚中ほとんどなかったので、ひょっとすると学生以来かもしれない。。
この気持ちを取り戻すきっかけとなる、もう2つの出来事を記しておきたい。
ネット上で知り合った、年下だがとても仲良くしてもらっている同じ趣味の友人I。
その友人と先日、club house(すっかりアクティブUU減ったなあ)で副業についての雑談をしているときだった。
エジプト人のAがその部屋に入室し、会話の参加を希望してきたのだ。
久しぶりに英語で友人Iとエジプト人のAと3人で何気ない会話をした。
Aは、日本の文化の様々な「beautiful」を教えてくれた。
例えばアニメとか、マンガとか、桜とか、、、どれも、私の中では何気ない通り過ぎていく日常の一部の中にあるものだ。
そして私はAに、日本人は「beautiful」という表現をあまり積極的に使わないかも、と伝えると、
「なぜ?beautifulなのに?」と質問を返されてしまった。
「恥ずかしくなっちゃうのかもしれない」と私が答えると、とにかくAは不思議がっていた。
(そうだよな、日本の四季って美しいよな。
マンガもアニメも城も侍も陶器も着物も富士山も、美しいよな。)
私、いつからそんな美しさを「当たり前」化してしまって、「有難い」を忘れてしまっていたんだろう。
もうひとつの出来事は、自分の女性性を赦すというチャレンジを、離婚3年目にしたこと。
関係性の悪さから実兄に対し強烈なコンプレックスがあり、私がもし男だったら、長男だったら、男に生まれたかった、、、と思い続けてきた。
結論、私の兄は4年前の5月、自ら命を絶った。
(それについてはまた別のnoteで記そうと思う。)
さらに追い打ちをかけたのが元夫のモラハラまがいの発言の数々だ。
「夫に負けないぐらい稼ぐ、キャリア形成をする」
そんなことが私のグラつく不安定な心の支えになっていたと思う。
離婚してからはさらに「一人で父親役もやらなきゃ」「シンママだからって言われないように人よりもやらなきゃ」と
どんどん「女として」の自分を封じ込めるようになった。
女性性を赦すチャレンジのきっかけとなったのは、勤務先の代表が言った、
「え?あなた後輩に指導するときとか、母性溢れてるじゃん。
誰よりも共感して励まして応援するから、みんなあなたを信頼してくれんでしょ。
あなたが書くコンテンツだって、母としての想いが強いから、共感されてるんじゃん。
それって、あなたが女性だからできることでしょ?男はどう頑張っても現時点の科学じゃ子供は産めないんだからさ」
そんな言葉だった。
あれ?知らず知らずのうちにストロングポイントが女性性に寄ってるってこと?
頭がぐらついた。。。
直感が「これは自分の向き合う問題だ」と言うので、行動するべく、私は自分の女性性と向き合う離婚3年目を過ごしてみることにした。
長くなってしまうので結果だけ述べると、このチャレンジは自分のキャリアをさらに好転させるきっかけとなり、事業開発をスタートさせることとなった。
そして「女性性」を認めることによって、プライベートでの私も、少し柔らかく変化した。
昨年再婚をしたバツイチ友達()のMに
「本当に一人で育てるってことがどれだけ大変か。
そんな中で、きちんと仕事もしてキャリアも積んで、〇〇ちゃん(娘)はこんなまっすぐな子に育ってて。
本当にすごいよ、よくやったよ」
と素敵なフィードバックをもらって、「ああ、私大変だったんだな」と、ふっと肩の荷を下ろせた気がした。
父親役をしなくても、シンママでも、男じゃなくても、私って結構生きれてるじゃん。
それが離婚3年目の感想。
話は変わり、つい先週、6,7年来の飲み友である友人Fと、先に書いた友人Mも含めた数人での雑談中に、
友人Fが言った言葉が強烈だったので、紹介させてほしい。
「お前、もっと楽に生きた方がいいんじゃね?今のままだと、生きてる時間、全部、死の待ち時間みたいじゃん。お前、俺らといるときはよ~笑うしハッピーじゃん、いつもそうしときゃええやん」
死の待ち時間、、、、、
なんだその最上級に不幸な言葉の鎌足は、、、
(あ、ここは鎌足という表現で合っています、カタマリの意味として使用していますが文字遊びの一つだと察して慣れてください←)
人生ハードモードでも、絶対に、、、もっとハッピーに生きてやる!!!!!
その言葉をもらった帰り道、桜のつぼみを「咲くのが楽しみだな」とゆったりとした気持ちで眺めた。
今日も私は満開の桜並木の中帰路を急ぎ、桜を、春を愛でるだろう。
離婚やパートナーとの不仲で心が苦しい人がいたら、
「当たり前」を一度疑い、「有難い」を見つけてみてほしい。
今の苦しい気持ちへの共感と共に、「そのうち桜を愛でれる春が来るよ」と、そう伝えたい。
小さなハッピーのきっかけとなることは、そこら中に落ちている。
まずは、すべての花びらが落ちる前に桜を愛で、桜が散ったら桜のじゅうたんを愛で、
花びらを落とした桜から息吹く新緑を愛でてみませんか。