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劇団『SADAMEN』の感想

※こちらの記事では、2024年12月10日に日本武道館で行われた「演劇ドラフトグランプリTHE FINAL」 のネタバレを含みます
※観劇後の閲覧を推奨します
※修正、追記等を繰り返します

●はじめに
 私は舞台やステージ等を観劇したあとによく、Xで検索します。同じ場所で同じ時間を過ごした私以外の人が、何を観て何を思ったのか知りたくて。
 もちろん考察も好きですが、感想のほうが好きです。これはただ、私自身の知識と教養(考察するためのやわらかい頭)が足りていないからというのもあるのですが、自分が感じたことと他者が感じたことの違いをストレートに比べられることが楽しいのです。
 極端なはなし、「面白かった」「面白くなかった」これだけでもう私は楽しいのです。だから演劇ドラフトグランプリも、もっと公式タグを使ってポストしてほしいと思っています、アーカイブが続く限り、何度でも。
 まず日本武道館のキャパシティは〜10,000人ですからね。10,000人分の感想を読みたい(とはいえ私もそこまでポストしていない)。

 此度もそれはそれはまとまっていない文章の塊です。感想でもない、塊。ご容赦ください。




劇団『SADAMEN』
テーマ:運命(うんめい)
演目「運命と知るべし」(さだめとしるべし)

 まだ演劇ドラフトグランプリの流れに身体がついていけないままに始まった二作目、私の準備は出来ていないのに運命の扉が開かれてしまっていました。

 さっそくですが、私は今回の評価で最高得点を劇団『SADAMEN』に投票しました。好みにドストライクの作品が20分という時間の中に、あれだけ濃密に詰め込まれていたのが信じられません。
 観劇後に口から出た言葉は「これ、2時間観たい」でした。もちろん20分だからこその面白さと、描かれていないことろを想像する楽しさはあるのですが……余韻まで引き摺ってしまったら20分には思えない内容の濃さでした。

 前半は一族の現状と、それに至った過去の話。テンポよく掛け合いながらポンポンと進んでいくものの、物語が動き出すまでをしっかり作られていたので、一気に話が展開していくところまでは「あとの後半で何が起きてしまうの?」とドキドキしました。
 歌舞伎のような抑揚のある掛け合いは、本当にラリーをしているようでしたね。どなたかのXのポストでおふたりは初共演とチラ見したのですが、事実でしょうか。息がバッチリ合ってて楽しかったです。

 前回の記事で役名のことについて少し触れました。私は人の顔と名前を覚えるのがいっそう苦手なので、今回は少し苦戦しました。が、役名はあれど「兄」「弟」「子」「叔父」「先代当主」である一族の関係性にはギリギリついていけないくらいだったので、なんとかなりました。ギリギリついていけなくても、なんとかなるものです。私がついていけなくても舞台はもちろん待ってくれませんから。
 というわけで、自分用に家系図を作りました。

家系図

 漢字は勝手に当て嵌めていますのでご注意ください。そして何かしらミスがあれば目を瞑っていただくか、訂正が必要でしたらコメントください。

 最初は、「運命と知るべし」というのは定虎の言葉なのだと思っていました。回想に入る前に次郎のその性格は父親の影響だというセリフもあり、小さな頃からそうやって育てられてきていましたし。
 幼い頃から刷り込まれた「運命(さだめ)」の恐ろしさは、次郎の素直な性格からしたらとんでもないほどの洗脳力だったはず。実際きっとそうだったと思います。
 でもこれはきっと先代だけの言葉ではなくて。この一族はそれぞれ武士として、兄として、弟として、父として、次期当主として。何事も「俺の運命(さだめ)」であると生きていました。だから自分がやらなくては、自分が、自分が、という己への言い聞かせだと思います。
 千代丸の初陣の転換前最後にまた「兄に尽くすのだ。それこそ、弟であるお前の運命(さだめ)」のセリフ。これは実際に定虎が言った訳ではなく、記憶の中の定虎が次郎に言った言葉なのだろうと思います。次郎が言われ続けてきた言葉の重みが増して、言葉の縛りを感じました。

 この一族、これまで良い方にずっと運が転んできていたのですよね。運命(うんめい)が運ばれてきていたのではないでしょうか。
 だから千代丸が死に、次郎が「ごめんなさい」と謝るところで鳥肌がたちました。弟の運命(さだめ)を全うできなかった瞬間に崩壊してしまったのを感じました。運命(うんめい)が悪い方に運ばれてしまった。

 一人の死を些細なこと、とは間違っても表現できませんが、しかしここまで積み上げ守ってきた一族の崩壊はあっという間で。
 定虎に毒を盛った叔父上の行動も言動も、分かるけど分かりたくない状況に置かれた時の次郎をみたとき、いよいよ狂ってしまった次郎をみたとき、ああ可哀想にと純粋に憐れんでしまいました。
「己の定め」を、信じ守ることを続けてきた次郎が、「兄の定め」のために、運命を自分の手で変えようとした。そんな久しぶりのかくれんぼ、胸が苦しくてたまりませんでした。

 語りでもあったように、二人には血が、定めが多すぎたのです。いや、二人に限ったことでは無いですが。定めなんて無ければ叔父上も先代を殺めなかったでしょうし。
 それでも、もし、二人が別の場所でまた出会えたら。もし、兄と弟としてまた生まれた時代がそこではなかったら。もし、私が生きている現代だったら……
 どこかでただひたすらに、どうか、二人にとって幸せだと思える日々が長く続いて欲しいと願います。


 確かに生きていると「運命だな」とどうしても思ってしまうような出会いや事象って存在しています。私自身、今までの人生であった出来事は山も谷も運命だったと思っています。神も仏も、信じようと信じまいと関係なく、己の運命だったと。
 でも次郎の運命は、次郎が守り続けてきた定めであり生まれ持った指命だった。そこで私自身との大きな違いがうまれ、だからこそ、この演目が刺さったのかもしれないです。
 私はこれからも運命に身を任せて生きていくのだろうけど、あの一族のように、誰かを「守る」ための定めを全うする未来もいいのかもしれません。できるかな。定めが運命になれば、やるしかないですね。

 纏まらないし、それでも考えていたら思うことは止まらないし、長くなってしまいました。何度も見直して、毎回ぼろぼろに泣いてしまいました。
 それから、松島勇之介氏の迫力に脳が震えました。衝撃的に力強くて、言葉の感情でぶつかってこられたみたいに凄かった。またどこかで舞台上の松島氏を拝見してみたいです。
 それでは、お読みいただきありがとうございました。


もう少し深堀りしたいメモ
先代当主と叔父上
太郎の性格
誰の為に運命を生きていたのか
先代と太郎、叔父上と次郎、太郎と千代丸

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