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私の構成要素 その1

はじめに

私は、なんでできてるんだろう?いまなんでこんな考え方になっているんだろう?ということに疑問を持ったので、過去を思い出して振り返ることで自分の考えや行動の源泉をたどってみようと思いnoteを書き始めてみようと思います。
きれいなの作ろう、きちんと推敲しないと、とか、ハードル上げると面倒なのでダラダラと書いていこうと思います。そして、できれば時系列にまとめて書きたいところなんだけど、あれもこれも後から思い出して順序性整理して、が、いったん風呂敷全部広げてから整理しないとできないことで、スタートを切るのに時間がかかっちゃうので思い出したところから書いてこうと思います。最後に時系列に整理できたら御の字。

自分の人生の最初の思い出

自分の人生の中で一番古い記憶といえば、何歳かは覚えてなくて、多分4歳ぐらいかと思うんだけど、家から外に出て200メール先ぐらいを家からひとりで出て歩いていたら、お母さんとおばあちゃんがすごい血相して自分を探しに来て見つけてもらったことです。自分の中では、家から歩いてきて今自分がどこの場所もいるのかも把握していたし、何の問題も起きていなかったから連れ戻されてしまうことに対して、迷ってないのに、と思いながらも家まで連れて帰られた思い出です。
これ、今思うと、ホント自分は外に出かけるのは好きな性格は昔っからなのかなーって。しかもひとりで。ひとりで自由に外に出かけることが好きでそれは今でも変わらないですね。

トラウマになった蜘蛛の糸

自分は茨城県の日立市に生まれて高校生まで日立に住んでました。母方の祖父が那珂湊市(現在のひたちなか市)の水門帰帆の近くの神社のそばに住んでまして、月1ペースぐらいで車で遊びに行ってました。当時の那珂湊は子供の自分は怖いイメージを持っていて、周りを有刺鉄線で囲まれてる射爆場というのがあって、どうも爆撃を練習するための施設らしい、という話を聞いたり、低空で戦闘機が飛んでいたり、夏になると海で行方不明になった子供を探す放送が流れたり。。。あと、水門帰帆のところからの階段も子供からすると恐怖を感じるものがありました。そして、乳母の懐(うばのふところ)という海のプールがあって、親も良かれと思って連れて行ってくれるのですが、そこもプールといっても海の中にあるからゴツゴツしていて入っても怖い思いでしかなかったです。
そんな那珂湊の思い出ですが、多分小学校の1年生のころ、お盆に湊のおじいちゃん家に遊びに行ったときのこと、ふとテレビをつけるとアニメをやってました。途中から観たのですが、「蜘蛛の糸」でした。カンダタが助かりたいために地獄の穴の中から蜘蛛の糸を登っていくけど、後ろからいっぱいついてくるのでそれを足で蹴落として登り続けていたら、穴の上にいた仏さんが糸を切る話でした。まー、那珂湊という場所で見たこともあって、アニメの絵も独特の怖さがあり、それが怖すぎて。。。その救われなさが怖すぎて今だにトラウマとして思い出します。
一方で、当時の那珂湊のお祭りは豪華で提灯がいっぱいついた山車が数十台夜の街を練り歩いていてお祭りは盛り上がってましたね。

ちなみに

今、那珂湊はひたちなか市になっており、「射爆場」は「ひたち海浜公園」になり、一大観光地どころかフェスが開かれる公園になってます。でも、あの子供の頃に感じた気持ちも忘れられないです。

おいしいお菓子、鮎の形の最中

那珂湊に行くときは、いつもくだもの屋さんに寄っていくつかお供え物のくだものを買っていきました。で、湊のおじいちゃんちに行くと、他の親戚が持ってきたお菓子があって、その中でも、鮎の形の最中が大好きでいつも食べてました。勝田から那珂湊に遊びにきてる親戚が持ってくるお土産なので、その途中で売ってたのかなあ~?とは思うのですが、鮎の中の餡は、こし餡だけじゃなくて白餡もあったような気が・・・あの鮎の最中はお茶請けとして最高なので、もう一度食べたいのですが、まだありますかね・・・

こんな感じで取り留めのない話書いていこうっと。


湊のおじいちゃんちの近くの神社
水門帰帆の横の階段
神社の狛犬

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