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【読書感想文】「福田村事件」「九月はもっとも残酷な月』

『九月はもっとも残酷な月』森達也
『福田村事件』辻野弥生

9月中に読了しました。
8月は時期的にも世界情勢的にも戦争について色々読んだけど、今月はこのテーマだったかなと思う。


この『もっとも残酷な九月』は何を指すかと言ったら、それが101年前に「福田村事件」が起きた九月。

100年の節目の昨年2023年、森達也監督作品として映画化されました。


9月1日の「防災の日」は1923年の関東大震災が起きた日付でもある。
もちろん地震での被害は甚大で、それだけでとてつもない悲劇だったのだけれど。

それとは別に起きた「朝鮮人の大虐殺」についてはあまり大きな声で語られない。

地震発生からほどなくして「朝鮮人が井戸に毒を入れた』「日本人を皆殺しにしようと火をつけた」(地震で火災が起きるのは当たり前)などのデマが出回り
それを政府が利用して戒厳令を布く。


その結果各地で暴動が起き、不安に煽られた軍人や地元民、自警団など国民によって非常に多くの朝鮮人がいわれもなく無惨に殺された。
その数は6000人以上とも言われている。


殺された人の中には中国人や言葉の訛りが強い日本人も含まれていた。

どさくさに紛れてか活動家、社会主義者やアナーキストまでもが被害に遭う(甘粕事件など)


さて、その福田村事件とは。
震災直後のその混乱の中、四国の香川から薬の行商に来ていた一行15名が地元民に襲われ、9人が命を落とした、という凄惨な事件。

9人の中には、六歳、四歳、二歳の子供に妊婦も含まれていた。

こんな残酷な事件があまり表に出なかったのは被害者たちが「被差別部落出身」という差別の対象であった事も関わっている。

朝鮮人虐殺も差別から生まれている。

差別が何重にも重なって起きた悲劇だ。

この事件では沢山の人(とはいえ全員ではない)が裁かれたけどその刑は軽い。
昭和天皇即位の恩赦ですぐに釈放されたそうだ。


この日本人達も含め、多くの人達を殺したのは「普通の人達」だ。
要は、立場的には「私たち」と同じ立場の人たちだ。

特別なサイコパスでも極悪人でもない、善良な市民達がみんなを守るためにいたいけな子供達を殺し、女性を丸裸にして性器に竹槍をぶっ刺して殺し、首を切り落とし頭を割り、川に投げ落として皆で万歳三唱したのだ。


不安と恐怖、危機管理意識が最高潮まで高まると善良な人間もこれだけ豹変する。
しかも集団化する。
集団化してしまえば誰も止められない。
正義は残酷化する。


重要だから繰り返したい。


「私達のようなふつうの人たち、が豹変する。」


虐殺、までは行かなくとも似たようなシステムの暴動は今もそこいら中で起きているように思う。


コロナ禍には散々あちこちで炎上が起きていた。
発熱があるのに出歩いた人や、飲みに行った後に感染した人などが、ネットリンチに遭う様子。
不安と恐怖に煽られた人々の凶暴化、同調圧力。
普段ならありえない差別もまかり通っていた。
見ず知らずの人に集団で攻撃する様子もあの暴動虐殺と仕組みも流れも同じではないか。


福田村事件でも、朝鮮人を殺す時も

「やってしまえ!」

という声があちこちから上がっていたという。


ネットの炎上を見てると
「やってしまえ!」
の怒号が聞こえるように感じる

たくさんの誹謗中傷は自殺に追い込んでも裁かれない。

似ている

とても似ている。


恐怖と不安が高まり、危機管理意識を過剰に持ち、そこへお上からの煽りが来る。

不安が高まった人々を暴徒化させるのはいとも容易い事なのだろう。


だから不安を植え付ける
弱い人を思い通りに出来る。
デマでもなんでも流して不安と恐怖を煽り集団化させてしまえばこちらのものだ。





いやいや。

そんなチョロい奴にはなりたくないわ!

だからこういう本ばかり読んでます。


なにより恐ろしいと思ったのは最近までこの事件、朝鮮人虐殺そのものまで「知らなかった事」だ。


加害の歴史には世界は皆消極的だなと思う。
きちんと向き合ってる国ってドイツぐらいじゃないかな?


もちろん私たち一人一人も過去の過ちを堂々と口に出来る人は少ないと思う。
加害の扱いの難しさもわかる。
その加害者達にも親族や子孫もいる。
加害を認めれば非難の対象にもなり得る。
愚かだけど形を変えて新たな憎しみが生まれるかも知れない

簡単ではない

簡単ではないけれど


それでも加害の歴史に向き合い、忘却しないように伝えていかなければ人は同じことを何度でも繰り返すと思うのです。

だって私たちの心は弱くて脆いから。


※参考までに:不安と恐怖の遺伝子(正式名称セロトニントランスポーター)は人類には色濃く残っていて、日本人はこの遺伝子の活性度が突出して高いそうです。


虐殺がどうやって生まれるか?
その仕組みを知ることで平和は守れるはずだ。
知れば分かる。

そのための教育だと思う。


加害の歴史から学べるのは人々の心の脆さ。
同じ轍を踏まないためにも、繰り返さないためにも知っておかないとな、と思います。


このテーマに関しては記事一本では全然書ききれないのだけど、もう少し他の本も読みたいと思います。

この虐殺事件はデマだ、という歴史修正派の本もあえて見てみたい。



辻野さんの『福田村事件』の最後の方に森達也の寄稿が載ってるけど、それだけでも沢山の人に読んでもらいたいくらい大切な事が書かれてます。


「9月は〜」の方は福田村事件の話から始まるけど、色んな話が出てきます。
これまた森さんの体験談と思考の記録的な感じ。


この中で序盤に書かれてたけど、彼は『虐オタ』なのだそう。
寝ても覚めても虐殺の事ばかり考えてる虐殺オタク、と。

私もそんな感じがある笑
だから最近は森達也ばかり読んでるんだろうけど。


知って、繰り返す事を防ぎたいと私も思う。


いつかまた世界に激震が走った時に出来るだけ恐怖に支配されずに
自分を暴走させないためにも。


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