【映画感想文】風が吹くとき
『Mammy』に続いて2回目の川越スカラ座へ。
37年前に日本でも公開されたイギリスのアニメーション映画『風が吹くとき』を観てきました。
温かみのあるタッチのアニメーションで終始淡々と描かれた核戦争。
大島渚監督による日本語吹き替え版は森繁久彌と加藤治子。
味わい深い語り口で話は進みます。
政府のパンフレットに従って淡々と核対策を進め、静かに深刻な事態が進んでいくのに妙にポジティブなところが笑えないブラックユーモアのような。
物語は常に夫婦2人だけで進む。
放射能でズタボロになっていく身体を歳のせいにしたり、どれだけ状況が深刻化しても「きっと政府がなんとかしてくれるさ」と何故かポジティブシンキングなところが滑稽だけど笑えない。
どこかその滑稽さが他人事に思えない。
一貫して夫婦2人は呑気だ。
いや、たまに心が乱れる事もあるけど、あの状況ではかなり呑気だ。
だからか、感情的に場が荒れるわけではないけど、じわじわと蝕まれていく。
あのタッチでこれは重い。
政府がその時なにをしていたか
核ミサイルが落ちた国内はどういう状況か
ラジオもテレビも壊れて外側の情報は最後まで出てこない。
呑気なところはフィクションぽいのに、その閉鎖的な感じがリアリティを醸し出している。
実際に何かが起きた時には自分達もこういう何も見えない状況になるのかも、と重なる。
2人の行く末の結末は曖昧ながらに見事な締め方だった。
最後まで同じノリを貫きつつ、そう来たか、と。
これは確かに歴史的名作だ。
劇場に置いてある上映予定の映画のチラシを見てると、今ドンピシャで関心あるのが二つあった。
パレスチナと袴田さん。
これは観にいかねばな…!
中村哲さんの映画も観たい。
スカラ座で映画を見るの、本当に趣味の一つになりそうだなあ。
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