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パレスチナ連帯アクション2024年振り返り

こんにちは。木村りべかです。
1年の振り返りなんてやったことないですが、今年はとにかく新しいことをやり続けていたので記録を残そうと思います。

1月
イスラエルによるパレスチナでの大量虐殺に反対するデモに参加してた。この時リアルの知り合いでパレスチナのことを話せる人はいなくて、ひとりで行動してた。
自分なりにできること(プラカード画像のweb配布)をやってはいたけど、ガザの凄惨な状況と自分の孤独に絶望もしていた。

ステッカーを無料配布してる人を真似して、キラキラステッカーを作ってみた。

2月
新宿の大規模デモで初めて「プラカード屋さん」をやった。

プラカードをその場で作れる・もらえるようにした。レジャーシートを広げて、子どもがお絵描きできるようにもした。
全部無料。「屋さん」を付けたのは、親しみを持ってほしかったから。敢えてちょっと気の抜けたネーミングにした。お店屋さんみたいな感じにしておくと、知らない人でも近づきやすい。

後に誕生する「あたたかい家」の前身の活動。
もうひとりの呼びかけ人のsaquochangと、NASR (抵抗する美術学生のためのネットワーク)のみんなでプラカードを作った。
この時点で、パレスチナのジェノサイド(大量虐殺)に心を痛める多くの人とリアルで出会う。同世代や自分より若い人が多く、話すと心が少し軽くなり、行動するエネルギー源になった。

今も強く思う、社会的な運動で直接人と顔を合わせることは本当に重要。

3月
パレスチナを想うアートの展示「パレスチナ あたたかい家」の企画を思い立つ。呼びかけ人はsaquochangと私(木村りべか)。開催は5月上旬。

引き続きプラカード画像の作成&配布、

キラキラステッカーのチャリティー販売(現在は休止)、

行けるデモに参加していた。

4月
「パレスチナ あたたかい家」開催のため、急ピッチで準備を進める。
展示を思い立って約1ヶ月で100名以上のアーティストの参加表明をいただいた。9割以上が会ったことのなかった人で、プロの表現者も多かった。大切な作品をよく知りもしない人間に預けてくれたこと、改めて、すごいことだ。
(展示の後に知ったことだけど、「プラカード屋さんをやってる人の呼びかけだから」と信頼してくれた人が何人もいた。行動は人の心を動かす。)

生まれて初めてプレスリリースを書く。

※この時点で「パレスチナの皆さんが家族と幸せに過ごすことを願う」と書いている。私は以前から、「幸せの条件は色々あるけどまずは安心安全な家が必要」だと思ってきた。家を失ったパレスチナの皆さんの生活に平穏が訪れることを願って「パレスチナ あたたかい家」という展示タイトルにした。また私は、親の立場で子どもの被害に大きなショックを受け、子が親に愛されるを願っていた。
時間が経ち色んな人と話していくうち、当人が望む・望まないに関わらずこの世界に家族がいない人は本当にたくさんいて、血縁だけが家のあり方ではない、「家族=幸せ」という表記が人を傷つける可能性がある、と気づかせてもらえたので「家族」の表記は取り下げている。あたたかい家は、誰もが安心して過ごせて、抵抗を続ける力を蓄える、出入り自由の場になってほしい。

ものすごい速さで多くの学びを得ていった。
私の脳はスポンジみたいに空洞だらけで、どんどん情報が入っていった。読書が苦手なので、子ども向けの本から読み始めた。

SNSに張り付いて情報収集&発信の日々。
あまりにも大きな暴力、多く人の命が奪われているのを世界が黙って見ていることに怒りを爆発させていた。

パレスチナ解放のために必要なのはより多くの人の運動参加だ。だから多くの人の協力が必要だ。私も数ヶ月前までは無関心層のひとりでなんの行動もしてなかったんだから、怒りを押し出して距離をとられるより、怒りながら笑って「ウェルカム」な姿勢をしめしていった方がいいかも、と思うようになった。あくまでも私の場合は、だ。いろんな抵抗のやり方があるといいと思う。

私がSNSで怒っていたことにより「気づいた」と言ってくれた友人もいる。怒りは決して無駄ではないし、必要だ。人間なんだから感情を使おう、と思う。

少し話が逸れる。
私は両親がキリスト教徒の家庭、いわゆるクリスチャンホームに生まれ育った(本名のりべかは旧約聖書の登場人物)。両親は私の魂が救われるようにと、一生懸命信仰生活に導こうとした。でも私はそこから離れることを望んだ。彼らの真剣さは伝わるし、私を愛してるからこその行動だったと思う。
たとえば、子どもの喉が渇いていそうだから水を飲ませてあげる。だけどその量が度を超えると苦痛になる。
自分がどんなによいことや必要だと思うことでも、伝え方次第で真逆の印象を抱かれることがあるのは頭の片隅に置いておこうと思う。自分で「やりたい」と思える行動じゃないとなかなか続けられない。

5月
・「パレスチナ あたたかい家」の搬入

・会期が始まった
多くの市民によるパレスチナ連帯が可視化された、とてもよい場になった。

来場者のひとりが「パレスチナの不条理は人権問題」と言っていたのが印象的だった。小学生から「人権」の言葉は知っていたけど、自分の血肉になった感覚を得たのがこの時だった。人生の中で「何かを大切にしなくてはいけない、でもそれは何か?」ずっともやもやしてたけど、それは「人権」だったのだ。

あたたかい家は寄付金集めのためのイベントではないことを明記しておく。主たる目的は、パレスチナで何が起こっていて・何ができるのかの周知だ。そして、行動のエネルギーを蓄える場であること。

数字ってわかりやすいので広報には利用する。
11日間の会期で2000人以上の来場者、寄付金が200万円以上集まった。会期前〜終了後の現在までに、テレビ、新聞、ラジオなどのメディア取材は12社から依頼を受けた。

展示は成功したと思う。
けれど停戦せず、会期中にラファの侵攻が始まり、パレスチナの生活はめちゃくちゃのままだ。無力感でいっぱいだった。参加アーティストや来場者とその無力感や哀しさ怒りについて話すだけで、いくらか気持ちが救われた。

期間中、何年も前からパレスチナの運動や社会問題に取り組む何人もの人と会話をした。どの人も「続けることが大切」と伝えてくれた。
そうか、続けよう。と思った。

6月
展示の事後処理を進め疲れをとりつつ、できる範囲でミニイベントを開催する。

・シルクスクリーンワークショップ(@東京藝術大学)
「不和のアート :芸術と民主主義 vol. 2」に参加
展示の時のワークショップ用でシルクスクリーンの版を作ってあったので流用した。

・トークイベントとスタンディングの開催

私が住んでいる東東京でもっと広がるといいな、自分でやってしまおう。と思って企画した。知らなかったけどスタンディングって本当に気軽にできる。駅前に立つくらいだったら事前の申請はいらない。

ジャーナリストの藤原亮司さんのトークは、登戸の展示に藤原さんに来ていただいていたので実現した。人と直接会うのは大事だ。

・パレスチナ解放のためのチラシ(オリジナル版作成:日記さん)を5000部印刷する。(すぐなくなって7月に1万部増刷した↓)

私だけでは配れる数に限りがあるので、100部単位で配りたい人に無料(希望者はカンパ制)で送りまくった。印刷費と送料は全てカンパでまかなえた。

・カンパの残りで横断幕も作成した。

7月
・パレスチナ連帯グッズの販売
「夏のZINE祭り」(@渋谷ヒカリエ)に参加

5月の展示の在庫や、新しく作成されたパレスチナ連帯グッズの販売、あたたかい家と抵抗についてのトークイベントも行った。

・フジロック、アトミックカフェブースの出展

7月のイベントの取りまとめはsaquochangで、寄付金の合計額は約32万円。
ひとりではできないことでも、それぞれが力を持ち寄ればできることがものすごく広がるんだなと実感していく。自分が完全にコミットできない時でも、誰かがやってくれてるのはチームのいいところだ。あたたかい家は「できる人ができる時に」を心がけていたい。

8月
・本を読むスペースの開催(@ギャラリートウド)

なるべく「ただそこにいる」だけでいいスペースを作りたくてやってみた。5月の展示で「あたたかい本棚」というパレスチナや人権に関する選書コーナーを作っていたので、それの流用。本を読んでもいいし、読まなくてもいい。話したい人は話して、ぼーっとしてる人がいてもいい。
ギャラリーの方の心遣いで(場のセッティングをほぼ全てやっていただいた)クッションの用意や飲み物、マスクなどの提供があり、やさしく居心地のよい場になっていたと思う。
このあたりで、「セルフケアと会話が必要」と自覚的になった。

・藤原亮司さんによるパレスチナ情勢を学ぶ会2回目

・プラカード屋さんの開催
「パレスチナに出会うマーケットVOL.2」(@下北沢ボーナストラック)に参加

9月
・戦争展(@船堀タワーホール)に参加

江戸川区で毎年開催されている「戦争展」。
被曝当事者のトーク、日本によるアジアでの加害の歴史、核兵器とあらゆる戦争に反対するかなり充実した内容だった。その一角で、あたたかい家は5月の展示のアーカイブとなるミニ展示を行った。
戦争展の参加者は反戦運動を続けてきたシニア層が多く、SNS上では出会えない人との会話が印象的だった。

10月
2023年10月以降、イスラエルによるパレスチナ侵攻が激化した。この世界は巨大な暴力を1年以上止められていない。

・プラカード作成の手伝い(@渋谷)

絵描きの奥誠之さんの提案で、「パレスチナのための全国連帯アクション」に連動し、自分の心に残っているガザの人たちが投稿した画像をプラカードに貼り付けよう、という企画。

・新聞にデモ情報の広告折り込み

自分がふれるパレスチナ連帯の情報って、SNSから得ることがほとんどだ。9月の戦争展でシニア層と交流して、行動できるポテンシャルが高いけどSNSをやっていない人への周知の必要性を感じた。戦争展に来ていたしんぶん赤旗の人にお願いして、折り込み広告を渋谷・新宿支部に出してもらった。

・「あたたかい家のZINE」制作、販売

個人的に、パレスチナ連帯してる「あなた」の話を聞いてみたいという衝動があった。
あたたかい家を継続させる資金を得るための手段でもある。今まではグッズを作ると原価を除いた売上は全て寄付に回していたけど、それだと手元になにも残らない。やりたいことをやるためには資金が必要、ということで売上の一部はあたたかい家に・一部は寄付に、という割り振りにした。

11月
・パレスチナ連帯グッズの販売
水平都市(@歌舞伎町)に参加

クオリティの高い新作グッズがどんどん生まれている。

・パレスチナを知る読書コーナー
「GAZA. SIGNAL OF LIFE」(@東京藝術大学)に参加

ガザ在住の写真家アメル・ナーセルさんの写真展の一角で開催。
読書は、本と誰かが一対一で関わり合えるよい時間だ。知識を得ることができる素晴らしい手段なので、折に触れて読書コーナーを登場させたい。

・デモでチラシ配り

顔見知りの人が増えて、会うと挨拶したり話したりするようになった。チラシはどんどんはけていき、追加で色んな配布物が置かれていく。デモの時など、路上にちいさなブースを構えることになんの躊躇もなくなった。街はもっと自由に使っていい。ダメなことはダメと言った方がいい。
私は小さい子と生活してるので、色んなアクションにフルパワーで参加できないことが多い(この日は途中で帰った)。その時自分が提供できるリソースを可能な範囲で出していくことで運動を長続きさせたい。

12月

・パレスチナ連帯グッズの販売
「パレスチナに出会うマーケットVOL.3」(@下北沢ボーナストラック)

4時間半で約22万円を売り上げ、経費を除く約17万円がパレスチナへの寄付金になった。あたたかい家は「寄付金集めが主たる目的ではない」のだけど、数字にパレスチナへの関心、グッズの良さが反映される。
今回はあたたかい家へのカンパから、スタッフへの交通費支給を初めて行った。持続可能な活動にするためにお金とどう向き合っていけばいいのか考えている。

・「パレスチナ あたたかい家 in 松戸」の準備

今年5月の展示をパワーアップさせて開催できるよう動き始めている。ミーティングや会場の下見、声がけのため展示に赴いたり、やることがたくさんある。1回目の時はタスクが呼びかけ人に集中しすぎてパンクしていたので、運営チームを作って分散するようにしていく。
既に70人以上のアーティストが参加表明をしてくれている。
パレスチナで「今この時に」起きているジェノサイドは、私たちが生きる社会にも密接に関わっている。日常で抵抗を続けること、ひとりにはひとり分の力があることを伝えたい。ちいさな積み重ねで社会は変わっていく。逆に何もしないでいたら、変わらないどころか状況はどんどん悪くなっていくと思う。

1年前の自分を思い出すと、孤独だった。
最初は哀しみと怒り・ネガティブな感情ばかりで、自宅で泣きながらプラカード用の画像を作りまくっていた。パレスチナの現実を平和ボケした私が知った時、ショック状態になるのは当然だったと思う。

そこから、多くの人と繋がって様々なアクションを試した。自分以外の誰かと力を合わせられたからできた。ひとりでは絶対できなかった。よく言われることで、1+1=2ではなく、誰かと何かをすることで10にも100にもなる。測定不能のパワーのかけ合わせを使った方がいい。

巨大な暴力と対峙する時、とうていひとりでは対処しきれない。
だから誰かと一緒に行動する。
行動する人がもっともっと増えないと変えられない。
だから増やせるように行動する。
ごちゃごちゃ考える前にやってみる。行動にはパワーがあるのを知っている。

人権意識が高く、互いの存在を尊重し合える人間関係は気持ちがいい。親の立場の人とも会って、子ども達が楽しそうに遊ぶ姿を見ながら生活のこともたくさん話した。一緒に怒り、笑い合える人がこんなにもいる。
※もちろん意見の合わない人はいるから無理してコミュニケーションを取らなくていいと思う。全てをわかり合える人はいないことを前提に、期待しすぎない。

今の私の日常には抵抗が根ざしている。
何もしなければ、ひどい現状は変わらない。だから変えようとする。
シンプルな行動だ。
抵抗は希望。

来年は抵抗を続けながら、作品制作をする。
子を産んでからちょこちょこ制作はしていたけど、エネルギー不足で新たな制作に取り組む気になれなかった。もうアートを辞めてしまおうかとすら思っていた。
今は自分の様々な部分がアップデートされて、そういう私が作った作品を見てみたい。
色んな人と話したいから、英語も勉強しよう。

私は抵抗を続けていく。

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