自分の内側にしか答えはない、らしい
ずっと不思議でした。
なぜすぐに忙しくなってしまうのだろう。
予定がないといけないような気がするのは、
何もしなかった休日にダメ出ししてしまうのは、
それはなぜなのだろう。
効率化、タイムイズマネー、今が未来を作る。
そんな風に考えると、
やるべきことをしっかりやって、ちゃんと行動して、
ということがとても大切なのは、当然ではあるのです。
でもそういうこととは別に、実はもう少しゆとりをもって仕事もしたいし生活もしたいと考えている。けれどもそんな風にできないのはなぜなのだろうと、不思議に思っていました。
よく考えてみると、せっかくできた隙間に自分で予定を詰めているような感覚もあったのです。
でもそれはよく観察してみたら気づくけれど、無意識だと気づかないレベル。
どちらかというと表面的には、「どうしてこんなに忙しくなっちゃうの?」って、いわば他責的に考えてしまっていました。
でも待てよ、と。
外の世界を作っているのは、自分の内側でしかない。
自分の内側の世界が外側に映し出されて物事が起こっているだけ。
そう思って、もう一度見直してみました。
そうしたら、自分の中にものすごい信念があることに気づいたのです。
「人に役立たなければ」
「意味のあることをしなければ」
それをすることで、自分は価値があると感じられるというか、ここにいて大丈夫みたいな感覚だったんですね。
役に立っているから人から好かれている、みたいな。
よく考えればそんなことは全然なくて、自分の思い込みでしかないって理解できるのですが、もはや自分の信念になってしまっているので、手放すにはかなり手強いのです。
遡ってみると、私は長女で、たぶん妹が生まれたあたりから、自分がありのままでいるだけでは、親の注目が得られない(愛が得られない)という状況になったのだと思います。
たしかに、3歳くらいまでは本当に天真爛漫だったんですよ。歌を歌ったり、踊ったり、駆け回ったり、自分でも自由にやっていた感覚はあります。
その頃の写真でも笑顔が多い。
でも、妹が生まれてからはそのままの自分でいても親からは褒められない。だからいつからか「お姉ちゃんらしくお利口さんで何でも自分でやる」というように行動するようになってしまったのかもしれません。
その影響で、今でも基本的には人に頼らず自分で何でもやろうとするし、人に頼まれたら応えてあげようとしてしまっています。
でも心の中では「自分でやればいあのになぁ」なんて思ったりもしているんです。
そういうわけで、人の役に立つことをすること、お利口(分別ある、いい子)でいることが、自分の意味づけをしていたのかもしれないと思いました。
その設定で今まで生きてきた。
考えてみると恐ろしいですね。
でも設定なら自分で書き換えればいい。
何か不都合なことが起こっているときは、実は原因は外側になくて自分の内側にあるのだと思います。
だからときどき立ち止まって、自分の中を見つめることが大切。
そして、気づくってことがとっても大きな一歩なのではないかと思います。
無意識でいるうちは、自分の中の原因となっているその信念みたいなものが設定として常に起動している感じ。
でも、気づくことによって、その設定が起動しにくくなる。
設定を変えるには意識していくことが必要だと思うのですが、
まずは気づくことからスタートかなって、そんな気がしています。