変わりたいのに、変われない、その心は
「私、変わりたい」
そんな風に思っても、なかなか変われないのはなぜなのでしょう…。
先日久しぶりに、6年くらい前に「自己受容」について学ばせていただいた松丸政道先生のオンラインのお話会に参加しました。
(先生はカウンセラーであり、現代の陰陽師であり、面白い講座やお話会を開催されています)
今回のお話のテーマは「エゴ」。
そのお話会で聞いた内容を踏まえて、今日はちょっと整理してみようと思います。
エゴイストって言葉があるように、エゴはわがままみたいな意味にとらえられやすいですよね。
「それってあなたのエゴじゃないの?」なんて使われたりするから、本当の意味ではエゴについて理解されていないような気がします。
さて、それではエゴとは何なのでしょう。
・潜在意識とつながるもう一人の自分
・このもう一人の自分は、私の記憶や体験など全て同じデータを共有している
・エゴは生存維持に密接に関わり、危険を回避するため、現状維持をさせるようあの手この手を使う(つまり変化を嫌う)
・エゴが参照してくるのは自分の過去の記憶や体験からのデータ
そんな自分と同じ経験や体験を全て記憶しているもう一人の自分であるエゴは、とにかく安全に生きていくことをモットーに現状維持をし続けようと私たちにありとあらゆることを囁いてきます。
だから、「私、変わりたい!」とたとえ自分が思っても、
「変われるわけないじゃん」
「今までやってもうまくいかなかったでしょ」
「そんなの無理無理」
「うまくいかなくて余計傷つくよ」
など、過去の失敗体験や傷ついた経験をわんさか持ってきて、あきらめさせようとするのです。
とにかく不安を煽ります。
エゴからしたら、現状維持が安全地帯。
だから変わることに対してあれやこれやと邪魔をしてくるのですね。
それでも私が諦めないで頭の中の囁きでは効果がないとなったら、潜在意識とつながるエゴは、集合意識にも働きかけて他人の口からも諦めさせるような働きをさせます。
たとえばどうしようか悩んで友達に相談して、
「それって本当に大丈夫なの?」
「やめた方がいいんじゃない」
「それ、騙されてるよ」
…などなどと言われることはないでしょうか。エゴはとにかくあの手この手で変化を諦めさせようとします。
挙げ句の果てに、諦めたら「諦めてよかったでしょ、私の言うことを守ればいいのよ」とアピールしてエゴが言うことは正しいのだと主張するし、やってみてちょっと失敗しようものなら、ほら見たことか!とダメ押ししてくるのですから、手強いです。
そしてそのままそのエゴの言葉を鵜呑みにして、エゴの言うことが正しいのだと信じてしまうと、より変化に対しては慎重になります。
なんて厄介なヤツ、と思いますよね、やっぱり。
でもそう簡単に決めつけること勿れ。
このエゴを味方につければ、マイナスだったループを良い方向に持っていくことも可能になるのです。
でもいきなり宝くじでドン!と当たるみたいな大きな変化はあまりお勧めできないとのこと。
なぜなら、エゴは現状維持を死守することが目標で、そのためには手段を選ばないから。
でも少しずつの変化なら問題ありません。
少しずつ変わる。
少しずつハードルを上げていく。
たとえば収入でもドンっと増やすのはエゴが邪魔するけれど、少しずつ増やすことは受け入れられやすいのです。
少しずつというのは、これは本当にそうかもなぁと私自身も思っています。
日常的に少しずつ行っていく習慣になり、習慣になればそれをしないことが不自然になるから、自然と継続できるようになることってないでしょうか。
行動だけではなく、自分の内側の世界も同じことではないかと思います。
自分が変わりたいときには、少しずつ自分の枠を外してみる。
自分に制限をかけていたものや自分の中の無意識のマイルールを点検する。
そしてそのルールを疑って、ちょっと修正する。
たとえば「無駄遣いはいけない」という無意識のマイルールがあって、
欲しいものを我慢していることがあったとしたら、
ちょっとした無駄遣いを自分に許してあげることから始めてみるとよいかもしれません。
そんな些細なことの積み重ねが、自分を変えていく大きな一歩となるのではないかと思う、今日この頃です。