止まっていた時計が動き出した
人生、いちばん欲しいものを望まない。
なぜなら、叶わなかったときの失望を経験したくないから。
自分の中にそんな設定が実はあったのかもしれないと最近気づきました。
どうせ叶わないんだから、望んでも無駄。
だったら最初から望まない。
だから叶いそうな2番目とか3番目のものを望む。
幼少期の頃から、欲しいものが簡単に手に入らなかったりすると、そんな考えになるのかもしれません。
そんな風に無意識に自分の欲求をセーブしている自分がいました。
私は社会人の前半は料理やお菓子、パン作りに関わる仕事をしてきました。そして若い頃はたくさんの辛い経験や苦労をしてきて、私がこれからこの会社でやりたいことをやれそうだなと思った矢先に結果的には会社自体がなくなってしまって、やりたいと思ったことができなかったという挫折がありました。実はそういう経験が2回もあって、だから「そっちの方向じゃないんだよ…」と天から言われている気もして、自分の望みはあまり持たない方がいいのかも、と自分の中に元からあった、いちばん欲しいものを望まないという設定をさらに強化してきてしまいました。
そんな中、大きなシフトチェンジを7年前にしました。
飲食の会社ではあるものの、事務職に転職したのです。料理やお菓子を自分で作ることはないポジションです。しかも、自分の好みではない系統のお店を運営している会社で、今までだったら避けて通るようなタイプの人たちが集まっている会社でした。そして、その会社に入社したことで今まで人生で出会ったことのない種類の人たちとやり取りをしなくてはならなくなりました。
関わる中ででもそんなイメージで避けていた人も、みんなそれぞれの事情や悩みや頑張りもあり、私とあまり変わらないんだなという発見もありました。分かり合える人とはどんなにタイプが違っても分かり合えるし、合わない人は合わない。それは見た目や育った環境にはあまり関係がないのかもと思います。
そんな大きなジャンプをして早7年が経ち、私自身にもそれなりにたくさんのドラマがあり、学びがあり、そしてその中で自分の中の殻も少し破れてきたかな…なんて感じています。
私が自分とは違う世界に飛び込んで得られたものは、「幅」みたいなものかもしれません。自分の世界の大きさが広がったという感じでしょうか。
たとえばディズニーランドで例えたら、今まではファンタジーランドが好きでその世界しか知らなかったけれど、好みじゃなかったアドベンチャーランドを経験したらその面白さもわかった、みたいな感じでしょうか。
一方では、7年前にその会社に入社した時に、ある意味では自分のいた世界、自分がいちばん居心地がよいと思っていた世界を私自身が手放してしまったと感じていました。なんとなくですが、こちらにきてしまったからには、もう元に戻れることはないんだろうなぁって。
でも6年経った今、なんだか他の形で元の世界を体験できそうな気がしています。
もっといえば今まで経験してきたこと、学んできたこと、その全てが融合して新しい自分としてその自分の好きだった世界を体験できるのではないかと、そんな予感を感じています。
私が居心地が良かった世界というのは、目に見えないものを大切にし、手間をかけ、生き物と繋がる調和の世界でした。でも今の会社はバリバリ現実的。目標立てて、そこに向かって行動して、結果出すぞ!という世界です。
この2つの一見相反するような世界を、統合できるような、そんな感じがしています。
"見えない世界を大切にしながら、現実でしっかり生きる"
そんなことは当たり前なのでしょうけれど、私は極端な正確なので、どちらかでなければダメだと思っていたフシがあります。
でもどっちもあっていいよね。
今年に入って、気に入って使っていた時計をなぜかなくしてしまいました。買うにも気に入ったものがなかなか見つからないので、しばらくの間しまい込んでいた時計を使おうとしたら、ソーラー電池なのに暗いところにしまっていたため動かなくなってしまっていました。もうこのままでは使えないと思って、電池交換か修理に出さなければと思っていたのですが、気がついたら数日後に動き出していました。
こんな風に止まった時計が動き出すのも何か象徴的だなと感じています。
私のサヨナラしたと思っていた世界の中にもまだ私は生き続けていて、ようやくこの世界の私とそのサヨナラした世界に居続けている私が、今このタイミングでで会えたのかもしれません。
少しずつ、そんな形で融合させながら動いていこうと思っています。