準備はどれだけ必要か?
私が3年前にデンマークに行くと決めたのは世界でもトップレベルの幸福度の高い国で日本と全く異なる文化にどっぷりと浸かってみたいという、単純な動機がスタートだった。少し考えてみれば今まで空気のように使っていた日本語ではない言語の中に浸かるということがわかりそうなものだが、幸か不幸か私はそこには引っ掛からなかった。それは大体英語が通じるという楽観的な情報とAIによるオンライン翻訳技術の驚異的な進歩を実感していたからである。リアルに喋るのは無理でも翻訳アプリを使いながらなんとかなるだろうくらいの気持ちでいたのだ。そこの文化に浸ろうというものがそこの言葉も知らずに行くというのは甚だお粗末な心掛けだが、結果的にはそれもひとつの形としてアリだった。
そうはいっても、挨拶ぐらいはデンマーク語でできた方がいいだろうと、YouTubeで生まれて初めてデンマーク語というのを聞いた時の衝撃は忘れられない。アルファベットは大方見たことがあるが3文字多い。音声を聞くと音と文字が全く対応しない。対応しているように聞き取れない。この違和感はただものではない、これは書いて覚えることはできないな、ただ耳で聞いて音として言い回しをいくつか覚えるだけが精一杯だろうと腹をくくったのがデンマークへ出発する2ヶ月ほど前だった。本当にカタカナで発音を書いて音で覚えようとしたものだ。
どれだけ準備しても完璧ということはない。だからといって準備しなくていいかというとそうでもない。どれだけ準備したらいいのだろうか、というのは一つの典型的な「正解のない」問いである。したがってその分、さまざまな回答が試みられる。自分の気持ちに一番合うものを拾ってそれを支えにするのもいいだろう。ただ、私の場合はその問いをあまり意識しなかったということがある。なぜなら準備できようができまいが、行くと決めていたからである。出発の日時が決まっているので、それまでにできるだけのことをする、頭をひねるだけひねって戦略を立ててやってみる、それだけのことだった。それだけのことだったのだが、毎日ワクワクして楽しくて仕方なかった。今考えてみると、それこそが「自分の人生に責任を負う機会を与えられていた」のではなかったか。デンマーク語については結局のところ「みなさん、本当にありがとう」というのを「トゥースンターク、スカルイへイヴ」とだけ覚えていって、授業二日目にみんなが私の誕生日を祝って歌を歌ってくれたお礼にそれが言えてしかも通じた!ことだけで十分だった。
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