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ギャップイヤー

私はその昔、共通一次試験というのを2回受けた。いわゆる浪人というやつだ。世間ではバツの悪い印象を持った言葉だったが、自分はなぜか全く気にならなかった。それは目標とする大学(実際には教授)がはっきりと決まっており、その為だけに努力すればいいとわかっていたからだ。予備校に通ったが友達もできたし先生ともやりあったりして楽しい1年間だった。期限を切って目的のはっきりしている生活は今思えば私の最初のギャップイヤーだったのかなと思う。

デンマークのフォルケホイスコーレにくる学生はギャップイヤーとして来ているという。目的は様々なようだが、学校生活を一旦止めてしばらく全く別の環境に身を置いて新しい経験を繰り返しながら過ごすというのは心身ともにリフレッシュしエネルギッシュに過ごせる期間になると思う。私自身もそれを体験することができたのは本当にラッキーだったと思う。人生2回目のギャップイヤーを取れたのだ。

ギャップイヤーはどんな意味があったのだろうか。浪人時代のギャップイヤーは目標に向かってひた進む、受験勉強に明け暮れた、しかし充実した期間だった。そして58歳のギャップイヤーは高齢者の尊厳ある生活を知るという目標を定め、未体験の文化圏に飛び込むという無謀にも見える挑戦だった。しかし無人島に飛び込んだわけではなく、改めて人の暖かさに触れ社会の動きを感じ共同生活で強い連帯感を育てることができた意味ある期間だった。

そう思うとギャップイヤーというのは自分を探すというよりは自分を試す場所だった。自分なりに目的を定め誰がなんと言おうとそこに向けて自分の戦略を立て体当たりして行く、そういう期間だった。そしてそれがまた最高に楽しかった。今まで人生の流れの中で幸福を味わったことは何度かあったが、自分で決めて自分で動き体当たりで味わうというその経験は格別である。

日常ではなかなか味わえないギャップイヤー的幸福感も工夫すれば多少は経験が可能かもしれない。それはやはり自分で計画し、実行し、できれば大切な人とそれを味わうことだ。小さなことでもそのように意識を持つだけで見え方が変わってくる。それがまた楽しい。

これからは高齢者方面へ加速度的に進んで行くことになる自分や家族との生活に小さな幸福を刻んで行くようにしたいと思う。


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