対岸の火事

日本は島国である。周りを海に囲まれている。だから海外の出来事はどうしても少し遠くに感じてしまう。対岸の火事という言葉がある。川の向こうの火事は自分には関係ないという意味だ。この言葉はあまり良いニュアンスでは語られない。「対岸の火事では済まされない」というような使い方が多い。無関心でいることはよくないということだ。昨今は情報技術の進歩で世界中の情報が、映像が生で目や耳に飛び込んでくる。世界中の事情に無関心でいることの方が難しいかもしれない。それはインターネットの個人利用の範囲にとどまらず、ニュース番組などのメディアでも同様である。11年前の東日本大震災のときも1週間被災地の状況が放送され続けた。ニュースの度にそれを見て心を痛め、1週間後にはテレビをつけることができなくなった。今度のロシアとウクライナの間の戦争もそうである。もうニュースを見ることができない。自分や家族を守るために少し身を引かなければならないのである。対岸の火事だからこそ客観的に見ることができる。自分が安全だからこそ冷静に考えることもできる。そういう一面があることを身をもって思い知っている。
自分が強いのか弱いのか、そのような判断はしない。ただ見るに堪えないものは見ない。聞くに絶えないものは聞かない。自分ができることをするというのはそういうことも含むのではないか。それを考える、それを実行することができる、それはまた一つの幸福の要素であり、失ってはいけないものであるような気がする。

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