大切なもの
自分が何を大切にして生きているのかを考えることはあまりないと思う。それは無意識のうちに判断され、無意識のうちに大切にしているからだ。それが当然になって習慣になって人生になってくると、その事に意識を向けようとする機会はとても少なくなってくる。だいたい気づくこともない。私はそうだった。猪突猛進のように生きては来たが、何かを大切にしていたかどうかはよくわからない。その原動力がなんであったのかもよくわからない。よくわからないが、全力で進まないといけない、面白くないと思っていたような気はする。経験的に全力で体当たりすることは面白いということを知っていたのかもしれない。
デンマークの留学体験は長年意識してこなかった自分が大切にしていたものを思い出させる助けをしてくれたことは間違いない。しかしそれは留学中にとか、帰国後にハタと、ということではない。このnoteを一年間書きなぐりながら記憶と記録を見返して考えや感情や理屈が少しずつあるべき場所へと収まりつつある、その過程の中で見出してきたのである。そしてそれは別段新しいものではなかった。当然である、いままで そのことを一番気にしていたはずだから。しかし無意識であったために気づかなかったのだ。
大切にしてきたものとは「動くものを作る」ことだ。高校生くらいまでは物理的に動くもの、機械とかロボットに興味があった。何故だろう、動くというのはとても神秘的だったのだと思う。スイッチを入れるだけでモーターが回る。不思議だ。車のワイパーはアームが円運動しているのに平行を保ってウィンドウを拭き取る。美しい。大学に入ってからはコンピュータが出てきて、ソフト的に動くことも仲間に加わった、プログラムを組むとその通りに絵を描いたり、文字を表示したりする。バリエーションが豊富で面白かった。そして今になってみると、文章が面白い。川柳や俳句といった定型句も面白いし、ある程度長い文章を書くのも面白い。これも動きと関係している。つまり、読むときに、心が動くのだ。感動するとかいうだけではなく、論理的にうまく収まったり、文の背後にある情景が文章全体の意味をダイナミックに構成したりして、気持ちとして動いたという感じと同じになるのだ。
動くものを作り続けたいということがおそらく私のライフワークの土台なのだろう。かなり遅めの気づきではあるが、これからの人生の選択には貢献してくれるものと思う。