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感情のどうぶつが時間を消費すると感じたとき

人は感情の動物である、とはよく言われることだ.感情があるから何かをしようという気になる。この感情というのは、「感情的」とは少し違うように思う。感情がたかぶって突発的な行動を起こすようなものではなく、興味を湧き起こさせたり知りたいと思わせたり、なんというか冷静な感情である。デンマークにいた時にはとにかく時間が十分にあったし、テレビやネット配信などからも離れていたので、十分に休み、この冷静な感情を経験することができたようだ。
日本に帰国して2年、あの時ほど時間があるわけではないが、それでも自分のコントロールできる時間がある。しかしなんとも不思議なことに、冷静な感情よりも、ホットな感情、焦りや怒り、失望など不要な感情ばかりが起きることが多くなっているような気がする。もし持ち時間ということでそれほど差がないとすれば、デンマークと日本でこの感情の差は何に起因するのだろうか。
思い当たることの一つは、考え行動する時間と消費する時間の違いである。デンマークではフォルケホイスコーレという学校の学生であったから、出席さえしていれば落第の心配はないとはいえ、それなりに束縛はされていたし、毎日ほとんど聞き取れないデンマーク語のシャワーを浴び続けるのも結構消耗することだった.ただ、自分の身一つを自分だけで管理し、大げさにいえば、「生き延びなければならない」毎日であったことは事実で、純粋に自分が明日生きるために何をすれば良いのかを考えていたような気がする。それは明日の行動戦略である。ある意味失敗の許されない、かなり緊張した戦略である。と同時にこれまで味わったことのないワクワクした気分をもたらしてくれたものでもあった.一方日本のこの暮らし慣れた家の中で家族の中で便利なものに囲まれた生活の中で、明日をどのように生き延びようかと考えるだろうか。完全に自分が何かの「一部」になっており、自分の時間はその何かを維持するために消費することに使われているという、そんな感じなのだ.
毎度のことながら、それが何かを比較論的に考えようとするとそのこと自体が無意味であることに気がつく。それは私にとっての救いである。時間を消費せざるを得ないことを言い訳にして考えることを止めていることに気がつくからだ。日本の生活に居ながらまだまだデンマークの体験を学び直す必要と実践があることに気づくのだ。ありがたい。

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