海外留学への憧れ
私は中学生のとき、一度だけ海外留学に憧れたことがあった。確かイギリスへの留学ではなかったかと思う。その時の私は、なぜ学校で英語を習っているのかさえよくわからずにいたくらいだから日本語以外の言葉で生活することも、日本人であることを再認識することも全く想像できなかった。ただ何となくカッコいい、くらいの気持ちだったと思う。周りの大人たちは、頑張れば行けるぞという人、何を夢みたいなことを言っているんだという人、どちらかというと後者の方が大勢で自分もそんな夢物語にうつつを抜かしているより目の前の生活の方が大事なんだろうと表面上はあっさりと諦めていた。
もしかすると、58歳になってデンマークに留学しようと決心したのは、その頃の思いに原点があったのかも知れない。半世紀近く前の思いに比べれば、知識や社会的な意味づけなどそれなりにポイントを上げてのことだったが、一番奥底にあるのはただ「行ってみたい」という小さな好奇心だけだったかも知れない。それが人生の残りが見え始めた時点でどうしても行っておかなければならないという大きな、非常に強い圧力のような形で私を突き動かしたとも思う。
だから、もし若い時に海外留学という経験をしていたらどうだっただろうという問いには少し興味がある。目的も意味もあいまいなまま、ただ外国語で話す同年代の人々がいて自分からすれば少し風変わりな習慣の中で、しかし同じように喜怒哀楽を感じて生活するという体験はその後の人生にどう影響するのか?友達ができたりして交流の輪が広がるかも知れない。外国語への敷居が下がって別の道に進んだかも知れない。いずれにしても伸び代のある時の経験は影響は大きいだろう。
では58歳の海外留学はどうだったか。伸び代はほぼ使い切り体力気力も衰えを感じ、故障も増えものも忘れる、そんな自覚を余儀なくさせられる年代である。しかし3つの要素がこれら負の自覚を相殺した。これは以前にもnoteに書いたことだが繰り返すと、1.半世紀分の経験値と、2.それに裏付けられた開き直りの態度と、3.そして後がないという切迫感である。これらは先に述べた伸び代と相互に補完する関係にあるようで、トータルとしては、皆同じではないかと思うのである。
フォルケホイスコーレのアクティビティの中で、グループに分かれてそれぞれ自分にとってのヒーローを述べ合うという会があったが、その中で一人の学生が私のことを指して「自分にはとてもその歳で海外留学なんて考えられない」と言ったことがあった。私はそんなことはないよ、是非やってごらんと拙い英語で返したことを思い出した。できそうもないと思うことを含めて伸び代であり、それを否定しない大人が経験値と開き直りで背中を押してやれれば良い関係性になるのではないかと感じている。