言葉は慣れて覚えるということ
今夜は台風が接近しているせいで、時折家の外でざあっという雨の音が広がる。テレビの音よりも大きいくらいだから、テレビ番組を見るのはやめて、YouTubeに切り替える。テレビがインターネットにつながっているので大画面で動画配信を見ることができる。この何がいいかというと何度でも同じ動画を見ることができるという点だ。私はTEDで好きな動画がいくつかあるのでそれを見ることにした。英語で話し、字幕は日本語の時もあれば、アラビア語?韓国語?のときもあり、さまざまだ。大体中身がわかっているので、話し言葉だけ聞いていれば、どの辺のことかわかる。それでも完全にそらんじているわけではないので聞き取れないことも結構ある。
そのとき今更ながら気づくのが、言葉というものは何遍も繰り返して繰り返して耳や目や口に慣れてきて覚えるもの、ということだ。
内容を知っている英語のスピーチを聞いて、意味と発音が一致する感覚。それを繰り返すことで次第に細かいところまで聞き取れるようになるということ。それは本当に繰り返しの力だ。私はデンマーク語の聞き取りということでは、唯一歌を聴いている。動画でデンマーク語の歌を聴けば歌詞が表示されることもあるので、言葉の意味と発音が新たに結びつく体験をすることができる。いまだにある。また、
私はプログラミングをするが、プログラムには言語というものがある。文法はそれぞれだが、何度も何度も書いてエラーが起きないようにして初めて動く。発音こそしないがコードが正しく動いた時に一つ理解が深まる体験をする。
この、意味と音が一致する体験とか、エラーなく動いた体験、というのが言葉を学ぶ原動力になっている。自然言語の場合は通じるという体験。プログラム言語の場合は動いたという体験。どちらも興味の扉を少し開けてその奥へ入っていけるような楽しみを与えてくれる。ボキャブラリーをたくさん持っているに越したことはないが、それよりもまず、「やあ元気? 昨日は何をした?」と会う人に話しかけて通じるという体験を積み重ねたい。新しいプログラム言語なら、まず何より、画面に ”Hello world.” と表示させたい。
とにかくまず、通じることだ。私は3年前にデンマークに行って生まれて初めてデンマーク語に触れた。そこで何度となく自己紹介をしたり、ゲームで自分には意味不明の文章を読み上げたりした。自分が発声しているデンマーク語らしきものが果たして聞き取ってもらえているのだろうか。その不安が何より大きい。そんな時に一番勇気づけられたのは「何を言っているかわかるよ。」と言われることだった。おそらく私の話すデンマーク語は相当いびつな発声で、聞き取りづらいものだろう。それは日本語を練習中の外国人を思い起こせばわかる。しかしそれで通じるのだ。それでいいのだ、と気づくことだ。そしてそれを繰り返すことで「必ず通じる、必ず聞き取れるフレーズ」が増えてゆくことが単純に嬉しいことを経験する。還暦を迎える時期ではあったが、このような言葉を学ぶ楽しさを知ることができたのは本当にありがたい。