座右の銘
座右の銘という。平たく言えば、お気に入りの言葉だ。誰でもいくつかはお気に入りの言葉を持っているのではないだろうか。特に長い間持っていられた言葉というのは、時々において色々大変なときに、自分を助けてくれた言葉だ。私はそのような言葉として「若い頃の苦労は買ってでもせよ」というのを持っている。今はもう若くないのだが、年齢に関係なくこの言葉は今も自分の中で愛用している。
人に言われて苦労させられるのはなかなかしんどいが、自分で苦労するつもりで臨む場合には意外と苦労を感じなかったりするものだ。そしてその中にいろいろな発見があったり、出会いがあったり、そしてまた自信がついたりすることが多かった。この言葉は選択肢を取る場合にまず思い出す。楽な方を選ぶか、大変そうな方を選ぶか。一概には言えないが、私は面白そうな方を選ぶ。それは大抵大変そうな方なのだが。しかし面白そうだと思うためにはその対象にある程度興味を持って見なければならない。楽をするというのは興味がないというのと似ているようだ。スルーしてしまうと何もわからずに終わってしまう。なんだかもったいないように思うのだ。
そんなわけで苦労する覚悟で事に当たると、自分の全力で当たる事になる。その感覚とデンマークの留学体験はとても似ていた。片手間ではない、持てるものすべてを総動員して体当たりする、やってみる、ということが爽快だった。そしてそれはどうやら見ている人にも、特にフォルケホイスコーレの先生ならわかるらしい。まあわかるだろう。必死の形相?なりふり構わずなのだから。しかしそれをカッコ悪いと思わない、そんな空気があった。むしろ自分を試してみるならそうならざるを得ないとわかっていたのかもしれない。
座右の銘はただの言葉ではない。人生の中で自分を助けてきてくれた言葉だ。だからその価値も人それぞれだし、エピソードもそれぞれだ。他人には意味不明に受け取られる言葉かもしれないが自分には理屈の通ったエピソードがあるのだ。そして言葉は沢山ある。沢山ある言葉の中から自分を助けてくれる言葉を持てるということはきっと、良いことだろう。