文句を言う
なぜ文句を言うのだろう、この口は。文句とは相手の自分に対する働きかけをやめさせようとして出てくる。ならば断ればいいのに文句を言う。そうか、文句とは相手を責める言葉だ。なんであなたは〜なんだ?と相手を責める。私はこんなに〜なのに、なんであなたはそれがわからないのか、と相手を責める。
相手を責めるのは自分が正しいと思いたいからだ。自分と相手を含む空間の中に自分が正しいという基準・判断が存在することを双方に言い聞かせているのだ。
だが、裏を返せば自分が正当化されない恐怖におののいているからこそ文句を言うわけでありつべこべ言うわけである。その恐怖はどこから来るのだろう。誰が自分を正当化してくれるのだろう。おそらくそれは世間とかこの件とはなんの関係もない知り合いなのかもしれない。なんだこれは。真っ直ぐに相手の話を聞き、誠意をもって応対するだけでいいのに第三者の見知らぬ評価を気にしているとは。
ああ、これは相手との対等な立場とも違うな。自分は違うという意識がどこかにある。対等ならば文句は言わずその働きかけに対して自分の考えを述べ、先に進めるか別の対応をとるかするはずだ。最後に文句は相手を尊重しない。だから対等でない。
心で文句を言うのも同じだ。
そう考えると、文句をいうことはとても純粋な浪費だ。体力、知力、考察力を動員して浪費し、他人との関係性においてその良好さを浪費する。ああ、もったいない。