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ノートを開いて


 入院中お世話になった殴り書きのような、走り書きのような、でもあの時の心境が嫌と言うほど自分自身に伝わってくる小さなノートを今、手のひらに乗せて読み返していると、ちゃんと毎日闘っていたんだなぁと思えるから不思議だ
 癌の宣告をまさか自分が受けるなんて思ってなかったし、受けた瞬間は他人事のように妙に冷静で、医師と看護師と一緒に段取りと手術日まで決め、お金を払ったところまでは鮮明に思い出せる
 なのに駐車場に停めていた車に乗り込んでシートに深く腰掛けた途端一気に感情が爆発して涙がドッと溢れてひとしきり泣いた辺りから職場に戻って今後について話した事はほぼうろ覚えだ
   凄い冷静っていうか、淡々と喋ってたよ 
 と居合わせた職場の友人からは言われた

 子供の頃から1人遊びが大好きで、お人形遊びもお絵描きも、読書から何でもひとり
 両親が仕事で忙しかったし、姉兄と歳が離れていたのもあって、寂しさもなければ、悲しくもなく、至極当たり前にそうやって過ごして来た私は人見知りもあって、なかなか自分から人に打ち解けていけなかったし、目が大きく少し吊り目の為にキツく見えるらしく、怖いイメージを与えていたようで、たくさんの友人に囲まれているよりは、数人の気心の知れた友とベタベタでなくサラッととした関係を築いて生きてきた
 会社員になり、新人故の先輩後輩の序列、お局女子からの所謂嫌がらせなどなどの洗練も受けて悔し涙も流したし、それでも職場の雰囲気は悪くはなくて、その課において新人では最長と言われるくらい踏ん張って働いたし、結婚し、出産しても働き続けたいくらいだったが、子育ての為に退職しろと義両親と主人に言われて泣く泣く諦めた

 今では破綻している家庭生活ではあるが、4人の子供は皆優しく育ったくれて、それぞれ独り立ちしてホッとした矢先、自分に思いがけない病気が発覚し、初めて『死』を意識した時、意外にもサラッと付き合って来たつもりの友人たちが心の支えになってくれている事に気づけた
 あの時、友がいなければ這い上がれなかったかもしれない
 上手くいっていない家庭が気持ちを落ち込ませ続ける中、ずっと一緒になって考え、怒って笑ってくれたおかげで今の私がいる
 もちろん4人の子供達もそうだ
 離れて暮らす子たちに負担はかけたくなかったが、全くとはいかず、それでも誰1人として迷惑がらず、支え続けてくれたから頑張れていたと思う

 1人が好きと、1人でいいは違うと思い知った
 ノートの片隅に力強くそう書かれているのに気づいて、今更ながら破顔した

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