
京都へ
何年か前に二女と2人で京都へ行った。
まだ病気の発覚前で、少し体調に不安を覚え始めた春の日だった。
普段離れて暮らしている娘と旅行なんて嬉しくて仕方なくて、体調の悪さなんてどこ吹く風状態だった。
新幹線もホテルの予約も、天気予報も旅行日和のようで、全てがバッチリだった。
前日から帰って来ていた娘と翌朝始発の新幹線に乗り込み、久しぶりの互いの近況報告で話しは尽きず、京都駅に着くまでずっとしゃべり続けていたから、流れる景色はほとんど覚えていなかった。
ホームに降り立つとやはり快晴が待っていて、2人の晴れ女をここでも遺憾なく発揮してバス停へ向かうが、乗り込み先がよく分からなくて、仕方なくタクシーを拾う。
行き先は平安京だ。
道中の車窓からは綺麗に咲き誇る桜並木があちこちに見えていて心が踊る。
『今日は桜がちょうど見頃ですよ』
とタクシーの運転手さんが教えてくれた。
平安京からゆっくりと歩いて清水寺を目指しながら、途中途中足を止めては目に付く場所へふらりふらり。
桜は本当にちょうど満開を迎えていて、立ち寄る先々で私達を出迎えてくれた。
二女との2人旅は初めてだった。
すっかり大人になり綺麗になった娘の横顔と桜がなんともいえずマッチしていて、私は胸がいっぱいになりながら何枚も何枚も携帯のカメラのシャッターを押し続けていた。
清水寺まであと少し、という所でイケメンの人力車の車夫のお兄さんに声をかけられた。
一度は乗ってみたいと思っていたから、娘と相談するまでもなくお願いする。
(なんていいタイミング)
そう思いながら人力車に乗り込むと、遠巻きでその様子を見ていた外国の観光客たちから一斉にカメラを向けられ、流石に恥ずかしくなった私とは対照的に、娘は実に堂々としていて、さすが現代っ子だと改めて感心させられたっけ。
約30分のコースは場所の由来から現在の名所までゆっくりと説明してくださるし、途中写真映えしそうなスポットではカメラマンにまでなってくださるという、至でり尽せり状態だったので、実に思い出深い記念写真が沢山撮れ、今も私の携帯のアルバムにしっかりと残っている。
やたらと注目を浴びた人力車を降り、そこから清水寺を目指すと、外国人の多くが着物を着て歩いていた。
確かに桜並木と着物はよく映えていたが、慣れない下駄で足を痛そうにしながらあの長い階段を登り下りしている姿は少しだけ痛々しかったな。
かと言って着物にスニーカーのミスマッチもいただけなかったが。
そんな要らぬお節介を心の中でいくつも出しながら途中途中で写真を撮ったり、お店を覗いたりしながら清水寺にようやく到着。
ところが情緒を割くように間もなく、ドラの大きな音が辺りに響き渡ると同時に、かなりの数の集団が次々と集まり出した。
それはおそらくだが、中国の方々で、あの有名な龍の舞を見せてくれるらしかったのだが、私と娘はあまりに増えた人の多さに圧倒され、そそくさとついさっき来た道を下りることにしたのだった。
清水寺こそのんびりとはできなかったけれど、その後はゆっくりと駅への道を歩きながら、土産物の店を好きなだけ見て回り、途中でお寺などを見つけては足を止めたりしながら、また話しに花を咲かせ続けたのでした。
女2人話題は尽きず、飽きることなくおしゃべりしながら、どこまでも歩いて行けそうな時間は、私にとって大切な記憶。
どんな話をしていたかはうろ覚えでも、楽しかったと記憶していられるだけで幸せだ。
沢山歩いたおかげで夜は2人ともお風呂に入るとアッという間で眠りについたのは言うまでもありません。
それでも2人して夜中にしっかり目覚め、買っておいたドーナツを食べるというオマケつきでした。 笑
それでも朝になればお腹が空いて目覚めたばかりでもホテルのバイキング朝食をしっかり食べ、ホテルをチェックアウトすると再び観光地巡りへと出発です。
学生時代、修学旅行で京都へ来た時はこんなにゆっくりとはできなかったし、集団行動で制限も沢山あったので、私の中の記憶はあまりいい印象は残っていませんでしたが、娘と2人ののんびり旅は、ただただ楽しくて有名所もそうでない所も、どこもかしこもとても素敵でした。
素敵なんて言葉さえ陳腐に思えるくらい。
それはどんな表現が似つかわしいのかも上手く説明できないくらいに。
そして季節的にも桜の花ばかりではなく、春の花々たちが一斉に咲き誇っていたから余計にでしょうか、あんなに京都の街並みが美しくて、そよぐ風が気持ちよくて帰るのが寂しいって思えたあの日が懐かしい。
今こうして思い出しながら書いていても、また行きたい欲が沸々と呼び起こされる。
一人旅もいいかも。
でも娘をまた誘ってみようかな? 急ぎはしないけれど、次はまた違う季節に行ってみるのもいいなぁ。
今度は長女も一緒に行けたら、なんて考えるだけでワクワクだ。