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今、そしてこれから

 私は子宮体癌のステージ3の宣告を受けた2年半後、今度は左胸乳癌のステージ1の診断を受け、部分摘出か全摘かを選ぶ事になり、結局年齢や場所などを考えて全摘を選んだ。
 子宮体癌に関してはそれらしい症状が出ていたのを忙しさで放置していた自覚があったのだが、乳癌に関しては全く意識していなかったから、愕然とし、まさに寝耳に水状態だった。
 たまたま職場の検診に引っかかり、要精密検査の結果に焦りつつ病院へ。
 様々な検査の結果やはり乳癌だろうとの診断が下り、入院、手術となった。
 手術の結果は幸いリンパへの転移などもなく、ただザックリと左胸は無くなったが、それだけで済んだ気になっていた。
 いざホルモン剤治療へとなる段階で、実は再発リスクを知る事ができる検査があると主治医から教えられた。
 医療は確実に進歩していた。
 それは驚きであり、嬉しい事でもあったが、検査費用はバカにならなかった。
 この費用がネックになり、しばらく迷うことに。
 そうでなくても通院費、検査費、入院費等、ことある毎にお金は掛かり、いくら高額医療の申請をしていても財布からは出ていくものが多過ぎた。
 再発は怖いけれど生きて行くのにお金は必要だし、いくらあっても足りない。
 勿論再発なんてしたくないとも思うと、迷いに迷っていたのだが、よく病院に付き添ってくれていた二男が察したのだろう。
   「お金なら出すよ」
 と言ってくれた。
   「でも...」
 まだ迷う私に
   「手術したのは生きてく為でしょ?
 迷うのもホントは受けたいからじゃないの
 かな? だったら受けなよ」
 とあっさりと口にされた。
 見抜かれてましたね、流石我が子でした。

 こうして二男のおかげで検査を受けたのですが、結果は80%近い確率で再発の予見でした。 ( 受けてよかった )
 なのでここから急遽抗がん剤治療を受ける事に。 
 子宮体癌の時と同様で3週間に1回のサイクルで約半年間の治療に決定したソレは、エンドキサン( ドキソルビシン、エピルビシン)を4回とアブラキサンを4回の計8回受けるというもの。
 折角ショートカットくらいまで伸びた髪がまた無くなるのは正直悲しかったけれど、命には代えられない。
 それしか考えないようにした。

 始まった点滴治療は、毎回ケモ室と呼ばれる部屋で行われるのだが、血液検査を兼ねた血管確保から全ては始まる。
 初回、2回目までは順調だった。
 勿論副反応は毎回あって、吐き気と関節痛が2週間程続いた後、1週間ほど間が空いてまた次の点滴といった具合だった。
 3回目からは身体に浮腫みが出始め、血管探しから看護士さんに面倒をかけてしまった。
 仕事も続けながらだったのも身体には負担になっていたのかもしれないが、あちこちに針跡を残しながら毎回受けるのもかなり苦痛。
 帰宅してからの吐き気、関節痛も苦痛。
 回を追う毎に苦痛が増えていった。

 5回目になり、アブラキサンに代わる日、主治医は
   「入院しますか?」
 と尋ねました。
 唐突過ぎて戸惑っていると
   「今回からの薬はかなりキツイと思います、次回からでも辛いと思ったら遠慮なく言って下さいね」
 と意味深な言葉を残して退出しました。
 そしてその意味が分かったのは点滴を受けて帰宅したその日の夜中。
 足の先からジワジワと痺れるような痛みが出始め、動かすと走る関節痛。
 4回目までの関節痛とは違う痛みが全身に走り始めたのです。
 アブラキサンはヒトの血液を原料として作られる治療薬で、主に痺れ、関節痛、人によっては視力にも影響が出るとの事。
 この痺れ、関節痛は翌朝ベッドから足を下ろした瞬間に激痛となって現れました。
   「えっ⁈ 何⁈」
 と思わず声が出でしまった程の違和感。
 まるで足踏みマットの上で悶えるような痛みとでも言うのか、最初はヨチヨチ歩きならなんとか歩ける痛みでしたが、時間と共にソレは剣山の上に立っているかの様な強い痛みに。
 激痛が足全体にあり、上半身には両側から肩を押さえつけられて身動きが取れなくなるような関節痛。
 初めて味わう激痛ばかりでした。
 ただ吐き気だけは治ってくれたのには救われましたが。
 そしてこの足の激痛には休日を挟んだ事と、予約のタイミングが合わず4日程悩まされる羽目になり、ホント参りました。

 なんとか診察を受けることができ、そんな痛みを処方された漢方薬と痛み止めで誤魔化しながら次の点滴までの3週間をやり過ごしながら4回目までを無事年内で受け終えられた時は本当に嬉しかった。
 ただその最後の4回目終了後の夜中から最大の痛みに悩まされ、結局仕事を4日休む羽目になったのですが。
 起き上がる事もままならない程の痛みが全身に現れ、どうにかなってしまうのではと想像してしまう程でした。

 それでも終わりよければ全て良しという言葉がありますが、こうして今でこそ笑い話にできるのですが、ホントに最後の試練とでも言うのか、与えられたものは痛みには割と強いと自負している私でしたが、弱音をつい吐いてしまったほど、かなりキツイ試練の時間でしたね。
 そして是非ともコレで最後にしたいと切に願う今。
 もうすぐ新しい年がやって来る。
 来年こそ心から笑って、家族や友人たちと楽しく過ごせる毎日にしたい。
 そして同じ様に不安や病を抱えている皆さんにも新しい希望の未来が待っていてほしい。
 まだまだ道は長く遠いけれど、希望を捨てる事なくお互いに頑張っていきましょう。
 もちろん皆さん頑張っているのだから、それ以上無理しない程度でね。
 何事も無理は禁物。
 希望を胸に。 
 新しい明日を楽しみましょう☆

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