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㉗家にとんでもないものが 2

ゴミ捨て場から物を持ってくるなと、義兄は何度も言っていたのだが、義母の行動は変わらなかった。
ある時、段ボール箱を拾って帰り、義兄には内緒で家に隠しておいた。中には小さな箱がいくつか入っていて、義母はうちでゆっくり中をあらためるつもりだった。
数日後に開けてみたところ、小さな箱の中身は全て、ただのゴミだった。しかし、この段ボール箱が義父母の家に厄災をもたらした。中にゴキブリが住み着いていて、それを知らずに家に持ち込んでしまったのである。ゴキブリは箱から家の中に移動し、卵を生み、小さな仔ゴキブリが室内を走り回るようになったのだ。
義父母宅を訪問した時、義兄が手にチューブを持ち、家のあちこちに茶色のペーストを絞り出して置いて回っていた。「ゴキブリの餌だよ」と私に言って笑った。韓国でよく使われる、毒餌だった。
効果は抜群で、1週間ほどすると、ゴキブリはいなくなったと聞いた。
事態は収束したが、義兄と義母の間で激しい口論があったのは想像に難くない。

義父母と義兄夫婦の同居は、しばらく後に解消されることになる。

義姉は、同居当初は義母のことを「オモニム(お母様)」と呼んでいた。しかし数カ月後にはそれは「オンマ(お母さん)」と変わった。親しみが増したからではなく、「様」からの格下げが行われたのだった。
ある時、私が日本の実家に帰省するのでキムチをスーパーで買って行く、と聞いた義姉が、
「それなら私が作ってあげる」
と言ってくれた。義姉は料理が上手い。
早速夫の車で一緒に市場に行き、白菜を仕入れた。驚いたのはその道すがら、普段それ程おしゃべりではない義姉が、義母の愚痴を言い出して止まらなくなり、車中で途切れなく話し続けていた事だった。
白菜を買って家に戻る間も同様だった。夫は時々「はい」「はい」「あーそれは大変だ」と困ったように相槌を打っていた。義姉もよほど鬱憤が溜まっていたのだろう。
同居はそれから数年も経たずして解消されることになる。義母は義兄と絶交状態になり、韓国の盆正月に当たる「名節」にも顔を合わせることは無くなった。

しかしあるとき義姉から、
「お義母様はどうしている?」
と聞かれたことがあった。この時には私の韓国語も多少上手くなっていて、簡単に近況を説明すると、義母のことを気遣うような雰囲気が義姉から溢れた。私には意外だった。「あのババア、まだ死に損なってんのか!」という感情は全く感じられなかった。
私は、この優しさは義姉の天性のものなのだろうと感じた。同時に、長く離れていて、義母の言動に悩まされることがなくなって初めて、気遣う余裕もできたのだろうと思ったのだった。

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