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南の方の人

2001年のことだった。結婚しよう。そう決めて、夫は義母に報告した。
「どこの、どんな人?」
と訪ねられ、夫はじらしつつ答えた。
「南の方の人」
日本は確かに韓国から見て南方ではある。
義母は、
「忠清道(チュンチョンド)の人か?」
と私たちがいる京畿道の、南隣の地域を挙げた。
「いや違う。もっと南」
「全羅道(チョンラド)の人か?」
と、義母はさらに南下した地域の名を挙げる。そして言った。
「まさか、光州(クヮンジュ)の人じゃないね?私は光州人は嫌だ!!」
光州は全羅南道の都市だが、1980年に民主化運動が勃発して、当時の軍事政権は光州を攻撃し、孤立させようとした。光州がならず者の集まる無法地帯のように宣伝した。そのために、当時は光州に対して悪いイメージを持つ人が多かった。義母はもろにその洗脳を受けていた。
夫は、
「違う違う。もっと南だよ」
「済州島(チェジュド)か?」
「もっと南」
「???」
済州島は韓国の南端だ。夫はこの日は正解を教えず、翌日になってやっと、「日本人だ」
と告げた。義母を驚愕させないよう、情報を小出しにしていったらしい。
夫はこの顛末を面白そうに私に語ったが、私はここで光州の名前が出てくるのに驚いた。民主化を求めて市民が蜂起した地であることは、今や光州にとって名誉であるのに、時が止まっているかのように、いまだ義母は光州を嫌っている。
幸い、結婚報告をしても義母は怒ったり反対したりしなかった。「光州人よりもまし」ということらしかった。

その後、私達は無事に結婚し、子供も授かった。子育てに追われるある日、夫が語った「義母が嫌う光州人」の話より、さらに驚いたことがあった。
郊外に新しくできたマンションに引っ越して、山の中に新しく整備された公園のふもとを歩いていた時だった。広い道沿いに等間隔で灰色の電柱が並んでいる。その電柱に、縦書きで大きな黒い文字があった。
「광주에 가면 위험 합니다 (光州へ行っては危険です)」
型紙を当てて、スプレーを吹き付けることで文字を転写している。一つの字が20センチくらいあった。光州事件が起きた当時、政府が書かせた宣伝の文字なのだろう。1980年から既に27年経っていたが、その字がまだ残っていたのだ。
次の電柱にも、その次の電柱にもあった。道を戻って数え直すと、10本ほどが、まだその字を抱えたまま立っていた。
その公園は、木材運搬用のトロッコ線路の跡地を整備したものだった。この田舎道になぜこんな文字を?と疑問に思ったが、昔ここで働いていた人達に向けた政治的宣伝だったのかもしれない。
私は呆然と立ち止まってそれを見つめた。携帯で写真も撮った。時々通行人が通り過ぎて行ったが、それらの文字をだれも気に留める様子は無かった。

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