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人は支え合って生きている
中学の時からの友人4人に、決まって年賀状をもらっていた。ある年のはじめ、そのうちの一人から、「来年は年賀状を卒業します(=これが最後です)」とのメッセージを受け取った。
彼女からのその最後の年賀状には、メールアドレスが書かれていたが、手紙好きでメールが苦手な私は、結局丸1年彼女にご無沙汰した上で、伯母の喪中だったこともあり、他の3人へと同時に、その友人にも年始の挨拶を手紙にしたためることになった。
手紙の文面は、本当に簡単なものだったかもしれない。喪中だと、何とはなしに、言葉が乗らないもの。だからというわけではないが、4人の友人それぞれに思いを馳せながら、持ち合わせのカードの中から、1枚ずつ選んで、手紙に添えて送った。
年賀状を書くことをやめていない3人の友人からは、それぞれの近況つきの挨拶状をもらったが、年賀状をやめたその子からは、忙しいのだろう、音沙汰はない。
気になっていることがひとつある。私が年始の挨拶を書き送ったとき、その子に贈ったカードは、マザーテレサのことばが書かれたものだった。
~働きながらでも祈ることはできます~
良かれ、と思いそのカードを贈りつつも、一抹の心配があった。私の思いは、きちんと伝わるだろうか、と。
彼女の結婚式の際にも、気になることがいくつかあった。その一つは、披露宴の式次第に書かれた彼女の「好きな言葉」が、「自力本願」、だったこと。強烈な印象だった。
彼女は、長い勉強期間を終えて、ある士業見習いをしていたこともあってか「努力の大切さ」「自立への志向」などが強いのも、もっともなことだったと思うが、一友人として私は心配と不安を覚えた。
武田鉄矢さんも、我らが校長先生も、「人という漢字は、人と人がもたれあい、支え合い、助け合って生きる様を表している」と、折に触れ、何度も語り聞かせてくれた。
先生が言ったからどうの、ということではないが、やはり、「自力本願」、という一癖も二癖もある言葉を、結婚に際して選んだ彼女が心配だったし、大切な士業に就く彼女が、ある種「そういう感覚」の持ち主であることに、そこはかとない不安を感じたことを憶えている。
カードに書かれたマザーテレサの言葉を彼女がどう受け取ったか、私には分からないのだが、彼女に「本当に大切なもの」に気づいてほしい、という思いは、正直ある。
どんなに多忙でも、どんなに負けられない状況でも、人とのつながりを大切に生きてゆくことは、この現代の世の中にあって、ますます必要になってきているのではないか、と思う。
✨✨✨✨✨
”彼女からの便りを心配して待つより、私の方こそ重い腰を上げて、暖かさが増してきた頃にでも、" 先ずは彼女の指定通りメールで「お元気ですか?」と書き送ってもいいのかもしれない " と、今これを皆さんにしたためながら思ったところです。
うだうだしたつぶやきを、最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。