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学生時代の友情は永遠ではない
いきなり冷たい書きだしだが、実際そうなのである。
特に高校生とか大学生の年齢の感受性が多感な時期を過ごした人は、
何故か友情が永続的に続く錯覚や思い込みがあるが「違う」
じゃあ、学生という括りで考えてみて、
幼稚園や小学生のときの友人と友情が続くと思う人は少ないでしょう。
学生のときに「皆と仲良くしましょう」と洗脳のように言われたが、
どうしても相性の悪い人や嫌いな人って出てくるでしょう。
それが普通だと思うんですよね。
人間の数だけ価値観や考えがある
世界に今何人?77億人?
それだけの人が住んでて、多種多様な価値観や考えを持つ人が各地に散らばってるのが普通の世界なんですよ。
それを「皆と仲良く」なんて無理が出てくるって。
喧嘩さえしなければ放置でいいんですよ。
話はズレたけど、無理に嫌いな他人に迎合する必要なんてゼロですよゼロ!
実際、高校・大学を出てしまえば学校という括りから解放されて、
同じクラスだった人とは1人会うか会わないか?レベルになるのが普通です。
時間と共に付き合う人の層は変わる
前の話に戻るが、幼稚園・小学生のときの元友人と友情が永遠に続きにくいというのはカンタンに想像がつくでしょう。
年齢が上がり・さまざまな経験を積み、
新たな出会いややりたいことに触れていけば、
幼稚園・小学生の元友人のことは考えないのが普通。
では、高校・大学の時の友人は永遠と感じるのか?というと、
社会に出る直前に一緒に過ごした仲間であり、
社会に出れば比較的マンネリ化しやすいからでは?と私は考える。
確かに社会人となれば生活がマンネリ化しやすいが、
それでもお互いが別の道を歩んでることには変わりない。
縁のある人は自然と連絡するもの
数こそ減るけれど、少なからず連絡する関係の元同級生は極々わずかにいる。
ただ、数は絶対的に減ってくるよねという話で、
自分の進む道が違えば、その道で出会う人と過ごす時間が増えるし、
昔の人に会っても「おや?何かちがうな」と感じることは普通にあるんですよ。
縁のある人は恐らく「波長が近い・考えが近い」など理由があろうが、
こういう人は大事にしたい。
が、何か違うと感じる人と永続的に友情を継続させる必要性は私はゼロでいいでしょと考える側。
同じクラスだったから友情が永遠に続く?
それはないですよ。
ただ学校側の都合で同じクラスに振り分けられただけの話で、
自分が望んで同じクラスになったという訳でないんだから。
自分の望み・夢を優先する
無理に過去の同級生と会おとか、
無理に昔の同僚に会おう、
そんなことは1㎜も考える必要はないと私は考える。
ハッキリ言って会社の元同僚は「友人でもない」し、
元同級生もよ~っぽど会いたい間の人ならいいとは思う。
が、少しでも違和感を感じたならば、
その違和感を大事にした方がいいと思うんですよ。
人間の直観って意外とバカにならないから。
人生、特に10代の時は時間や若さが永遠に続く錯覚に陥ることが多いが、
いま10代の自分に会えるならこう言ってやりたい!
「年齢と共に時間の経過は速くなるよ!どうでもいい人間関係に振り回されてないで、人生でやりたいことをやりな」と!
ホントに時間の経過って20歳超えると「ちょっと早い?」と感じ、
30代となると「もっと早い」と感じてくるもの。
なので昔の友人のことを考える間に時間は高速で過ぎ去っていくので、
さっさと自分の夢や目標に向かった方が良い、といのが私の考え。
決してバッサバッサと縁を切れということではないが、
縁を感じる人は大事に
違和感を1mmでも感じたらサヨナラ
この辺はハッキリさせて問題ない。当たり前だが、学校という括りに縛られていない訳ですから、もっと自由に生きよう!
では素敵な木曜日を!